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山川郷(近世)


 江戸期~明治22年の郷名。薩摩国揖宿【いぶすき】・頴娃【えい】郡のうち。鹿児島藩直轄領。外城の1つ。揖宿郡に属する福元(山川)・成川,頴娃郡に属する大山・岡児ケ水【おかちよがみず】の4か村からなる。郷の東に位置する福元村の山川湊が中心で,ほかはその後背地の役割を果たしていた。はじめ当郷は福元(山川)村と成川村の2か村であったが,正保4年大山村,慶安3年岡児ケ水が,頴娃郷から割譲されて以後,揖宿・頴娃の2郡にまたがる4か村となった。地頭仮屋は福元村に置かれ,郷士年寄(噯)には,野間口・日高・内田・菱田・大迫の各氏が任ぜられた。庄屋は福元村・成川村・大山村に置かれ,岡児ケ水・浜児ケ水(成川村のうち)には弁指が,町には町年寄行事が置かれた(町史)。当郷は湊があり,浦が発達し,浦の課役には水手立と運上があった。「薩藩政要録」には,町・浜・浜児ケ水・岡児ケ水の各浦が見える。延宝8年の町浜浦男女506人・浦31人立・雇29人立,岡児ケ水浦男女944人・浦35人立・雇33人立,浜児ケ水浦男女121人・浦38人立・雇38人立。「列朝制度」によれば,衆中25人・733石,寺家2人・38石。「薩藩政要録」によれば,地頭坂元平左衛門,郷士惣人数110,郷士人体81,所惣高4,040石余,郷士高878石余,寺社高38石余,用夫1,136,浦用夫784。「要用集」によれば,地頭名越彦太夫,郷士総人数145,郷士人体82,所総高4,045石余,郷士高931石余,寺社高39石余,用夫1,038,浦用夫691。「地理纂考」では,高4,037石余,戸数1,386,人口6,289。山川湊は,琉球貿易で重要性を増し,琉球産物方出張所や三島方出張所等があった。寛永7年の船数は118艘うち漁船37,5反帆以下73,6反帆以上8(町史)。物産には櫨が植栽されて製蝋所ができ,嘉永2年山川からの大坂仕登せ蝋は8万4,173斤で,ほかに琉球産物方1万5,000斤があった(町史)。幕末には奄美の砂糖惣買入れ制の実施で繁栄し米その他の生活物資が南へ下り,年1,000万斤を超す黒糖が大坂へ登った。明治4年鹿児島県に所属。同5年指宿(のち山川)郡治所,同12年からは給黎【きいれ】郡知覧郡役所に所属。「県地誌」によれば,戸数1,501・人口6,694。同22年当郷4か村は山川村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7463562