100辞書・辞典一括検索

JLogos

41

宜野湾(近代)


 明治41年~現在の字名。はじめ宜野湾村,昭和37年からは宜野湾市の字。第2次大戦前は,宜野湾マツーと呼ばれる松並木で有名な普天間街道沿いにあって,村役場や国民学校・郵便局などもあり,にぎわいをみせた。一方でサトウキビの栽培が盛んな農村でもあり,集落の中心部のジノーンマチグヮー(宜野湾市場)では農産物の売買が盛んだった。沖縄戦で,すべてが灰燼に帰した。昭和22年にようやく収容所からの帰還が許可されたが,字域西部の3分の2は普天間飛行場として接収され,住民は東部の土帝君を祀っていた小さな丘を中心とするかつての耕地などに移った。同年一部が長田・愛知・赤道となる。同45年頃まではサトウキビの栽培が盛んであったが,同47年沖縄国際大学の開校に伴い,宅地化が急速に進んだ。住民の団結心は強く,同59年戦災で失われた土帝君が再建された。世帯・人口は,昭和45年175・878,同52年378・1,716。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7464214