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識名村(近世)


 王府時代~明治41年の村名。島尻方真和志【まわし】間切のうち。「高究帳」では高頭377石余うち田268石余・畑109石余。康煕19年(1680)洞中にあった識名宮に権現宮を創建した(球陽尚貞王12年条)。この時,阿姓8世守浄が権現宮創造惣奉行を勤めた(阿姓大宗家譜/那覇市史資料1‐7)。道光6年(1826)の催促日記に,下儀保村民の請地が識名村内に1石1斗余,同21年の所帯日記に泊村民の請地が7斗余とある(地方経済史料10)。拝所に,シイマノ嶽・古堅上地嶽・ズガリノ嶽・識名ノロ火の神・屋比久之嶽・高安之嶽・川門之嶽・シモ門嶽・城アタリ之殿・シンマ之殿などがあり,識名ノロ・上間ノロの祭祀(由来記)。首里王府における元旦の御水取りは,吉方午のときは識名アク川,未のときは識名ケフリ樋川,申のときは識名石シヤ川で行われた(同前)。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。戸数・人口は,明治13年348・1,514(男787・女727),同36年367・1,744(男860・女884)うち士族164・836。明治36年の民有地総反別271町余うち田13町余・畑216町余・宅地11町余・山林11町余・原野17町余・雑種地1町余(県史20)。同41年真和志村の字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7464427