波平村(近世)

王府時代~明治41年の村名。中頭【なかがみ】方読谷山間切のうち。「高究帳」では,はびら村と見え,高頭375石余うち田13石余・畑362石余。咸豊~同治年間(1851~74)高志保村内の水田の灌漑用水修復費用を,読谷山間切6か村民とともに波平村民2人が供出している(球陽尚泰王15年条)。拝所には波平之殿があり,座喜味ノロの祭祀(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。戸数・人口は,明治13年195・1,034(男547・女487),同36年299・1,519(男786・女733)うち士族2・8。明治36年の人口は,楚辺村に次いで読谷山間切中第2位の人口である。明治36年の民有地総反別156町余うち田1町余・畑127町余・宅地16町余・山林5町余・原野5町余(県史20)。同41年読谷山村の字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7464849 |





