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真嘉比村(近世)


 王府時代~明治41年の村名。島尻方真和志【まわし】間切のうち。「高究帳」に,まび村と見え,高頭115石余うち田88石余・畑27石余。「由来記」では真壁村と見える。嘉靖39年(1560)武姓4世宗茂が真嘉比村内の田5石6斗余を賜っている(武姓大宗家譜/那覇市史資料1‐7)。脇地頭の置かれた村で,康煕49年(1710)向姓2世朝資が「亀田地頭職」に任じられ,朝資は同年10月嘉味田と改名している(向姓大宗家譜/同前1‐5)。「中山伝信録」では真嘉比村に代わって亀田が見える。脇地頭にはその後,雍正元年(1723)楊姓7世昌房が「嘉味田地頭職」となり,道光8年(1828)には向姓11世朝愛が真嘉比地頭職となり,嘉味田を称し,知行高40石を賜っている(楊姓小宗家譜・向姓大宗家譜/同前1‐7)。明治6年脇地頭嘉味田親方の領地作得8石余(県史14)。与那覇堂瓦屋・美栄地瓦屋・牧志壺屋への陶土の供給地として,貢租の一部が免除されていた(里積記/那覇市史資料1‐2)。真嘉比を通る道をマカンミチ(真嘉比道)といい,首里への裏道として利用された。嘉慶5年(1800)この真嘉比道を,和達道・葛維新の妻が私財を投じて石畳道とし,褒賞されている(球陽尚温王6年条)。御嶽に大嶽・前原之嶽があり,真壁大あむしられの崇べ所(由来記)。真壁大あむしられの祭祀する稲ノ穂祭は,亀田の東ノトノ・西ノトノで行われるとあり(同前),この両トノが真嘉比村の殿に比定可能か。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。荻敷地(サトウキビ畑)は,明治12年間切負債償還のために1,333坪余が作られ,砂糖にして1,787斤余,同29年総地頭識名親方加勢のために砂糖にして684斤が生産された。明治13年真嘉比掟の役俸は,米1石余・雑穀4斗余(県史12)。戸数・人口は,明治13年128・560(男261・女299),同36年119・584(男282・女302)うち士族64・366。明治36年の民有地総反別117町余うち田2町余・畑106町余・宅地4町余・山林1町余・原野2町余(県史20)。同41年真和志村の字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7465073