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宮里村(近世)


 王府時代~明治41年の村名。中頭【なかがみ】方,はじめ勝連【かつれん】間切,のち具志川間切のうち。「絵図郷村帳」に勝連間切見里村と見え,「由来記」には具志川間切宮里村と見える。集落は,はじめ石大那原にあったが,風水が悪いとの判断を受けて当原に移った。しかし,故地の地理が善に転じたというので,乾隆26年(1761)石大那原に戻ったという(球陽尚穆王10年条)。拝所に,殿と高江洲村・宮里村の御嶽としてコバノカタ嶽があり,江洲ノロの祭祀(由来記)。この殿は,村の上にある松の下にあった(同前)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。戸数・人口は,明治13年173・877(男445・女432),同36年205・923(男456・女467)うち士族62・315で,士族の戸数比率は30%であった。明治36年の民有地総反別178町余うち田21町余・畑103町余・宅地9町余・山林2町余・原野21町余(県史20)。同41年具志川村の字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7465147