宮平(近代)

明治41年~現在の字名。はじめ南風原村,昭和55年からは南風原町の字。村役場は間切番所跡に置かれたが,昭和21年兼城に移転。戦争直前の人口670のうち,沖縄戦での一般戦没者数は211(男85・女126)にものぼった。犠牲者には6歳以下の子供が39人も含まれていた。その戦死地は,現在の糸満【いとまん】市域で110人以上,地内での22人をはじめ,島尻郡各地に及んだ。また,宮平出身の軍人・軍属の戦没者数は78(南風原町役場資料)。中央部を通る与那原【よなばる】街道(現国道329号)は,軍用道路として米軍に接収された。同57年北丘小学校設置。サトウキビ栽培面積は,昭和41年3,800a,同55年1,207a,野菜は昭和43年174a,同55年154a。人口は,沖縄戦後米軍による収容先や避難先からの帰住が許された昭和21年7月358,同30年480。世帯・人口は,同45年224・888,同52年445・1,816。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7465152 |





