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屋富祖村(近世)


 王府時代~明治41年の村名。中頭【なかがみ】方浦添間切のうち。「絵図郷村帳」に,屋ふそ村と見える。19世紀の中頃までに,親富祖【おやふそ】村を編入した。冊封使が滞琉中に,一行が城間【ぐすくま】村辺りに来る場合,薩摩の在番奉行の所持品を西原間切小波津村に運んだが,その人夫は屋富祖村にも割当てられた(支那冊封使来琉諸記/浦添市史2)。拝所にニヨケン森(二御前)・屋富祖之殿があり,饒平名ノロの祭祀(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。明治6年の屋富祖親雲上の作得は8石余(県史14)。同13年の屋富祖掟の役俸は米1石余・雑穀5石余(県史12)。同26年の「石高村別台帳」では百姓地94石余・請地40石余・仕明地1石余で計135石余,惣頭は56人(浦添市史2)。同33年生徒のための復習所を設置。同36年郵便受取所開局。同37年白下糖視察のため,農商務省九州支場長が来村(浦添市史2)。戸数・人口は,明治13年87・398(男214・女184),同36年124・611(男302・女309)うち士族33・170。明治36年の民有地総反別78町余うち田8反余・畑67町余・宅地5町余・山林1町余・原野3町余(県史20)。同41年浦添村の字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7465198