早わかり世界史 第2章 一体化するユーラシア世界 6.西ヨーロッパの誕生 310 民族の大移動でローマ帝国が大分裂! ◎ゲルマン民族の大移動 ローマ帝国は、395年に東・西に分裂したが、その西半分の地域を大きく変えてしまったのが、「ゲルマン民族大移動」であった。 ゲルマン人はもともと北方のバルト海沿岸を原住地としていたが、ケルト人を追いながら南下し、紀元前後にはローマ帝国と境を接するライン・ドナウの両河まで進出していた。 3世紀ごろになると、ドナウ川の下流域にまでゲルマン社会は膨張し、傭兵や農民としてローマ帝国内に移住するものも多くなっていた。 4世紀後半になると、匈奴の末裔といわれるアジア系遊牧民フン族が移動を開始し、375年、黒海の北岸に居住していた東ゴート族をおそった。 そして、375年になるとドナウ川左岸に居住していた西ゴート族がローマ帝国領内に侵入した。ローマ皇帝は、378年にハドリアノポリスの戦いに敗北して軍事的義務と引き換えにゲルマン人の帝国内における定住と自治を認め、それ以後多くの部族がローマ領内に移動を始めた。「ゲルマン民族大移動」である。 移動せずにライン川以東にとどまったゲルマン人は、後にスラブ人と呼ばれるようになる。◎ゲルマン化する西ヨーロッパ 民族大移動が始まって間もなく、ローマ帝国は東西に分裂した(395年)。しかし、ローマ帝国の西部に建国された諸国のゲルマン人の人口比率は先住民のわずか3%程度にすぎず、ローマ皇帝の権威にしたがった。ゲルマン部族の首長は、ゲルマン人に対して王であっただけで、法的にはローマの高官にすぎなかったのである。つまり、ゲルマン人は軍事的実権を握って帝国領域内に「国家の中の国家」を建設したことになる。これがローマ社会のゲルマン化を促したといえる。 476年にゲルマン傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国の2歳の皇帝ロムルスを廃して帝国を滅ぼし、東ローマ皇帝ゼノンの臣下となった。それ以後、同じようにゲルマン諸部族国家の王は東ローマ皇帝に従属し、その権威を利用した。 日本実業出版社「早わかり世界史」JLogosID : 8539740