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なぜオランダは日本との貿易を独占できた?


なぜオランダは日本との貿易を独占できた?

◎宗教戦争でスペインから独立したオランダ

 ここで少し、この時代(17世紀)の海洋貿易の主役となった国々をみてみよう。

 スペイン領ネーデルラント(現オランダ・ベルギー)は、毛織物業や貿易で栄え「スペイン王国の財宝」といわれていた。しかし、スペイン国王フェリペ2世は、ネーデルラントで産出されるアメリカ大陸への輸出向けの毛織物を管理下におくために、1万人の軍隊を駐留させて異端審問によりカトリックを強制し、重税(スペインの国税の約4割)を課すとともに、商工業者の多数を占めるカルヴァン派を弾圧した。この政策で、なんと6年間に8000人もが処刑され、10万人が国外に逃亡した。

 やがて、エグモンド伯やオラニエ公ウィレムなどによる抵抗運動が始まり、ネーデルラント独立戦争(1568~1609)が起こる。

◎新タイプの商人国家の誕生

 独立戦争が始まると、国外に亡命していたカルヴァン主義者はゼーゴイセン(海の乞食団)を組織してスペインの銀船を襲った。戦争の長期化に手を焼いたスペインは、ネーデルラントの分断と懐柔に乗り出すことを余儀なくされた。その結果、カトリックの多い南部10州(現在のベルギー)は戦争から脱落する。しかし、ユトレヒトで同盟を結んで、徹底的な抗戦を決定した北部7州はオラニエ公ウィレムを中心に戦いを続け、1581年にネーデルラント連邦共和国の独立を宣言した。

 以後、オランダは東インド会社、西インド会社を設立して世界規模の貿易にとりくみ、17世紀前半、アムステルダムは世界の商業・金融の中心になった。しかし、中継貿易が主であったために、17世紀後半には、毛織物業などが着実に成長したイギリスとの競争にやぶれさった。

◎「オランダの世紀」と海運業

 この時代、オランダ人は、アジア・ヨーロッパを結ぶ海上貿易で活躍した。大型の船を使ったため、他国の半分くらいの運賃でも利益を上げることができたので、「世界の運搬人」といわれるほどだった。

 彼らは、16世紀末から東インド貿易に乗り出していたが、1602年に合同東インド会社(資本金は約50万ポンド、イギリス東インド会社の10倍)を設立。会社は香料の産地モルッカ諸島や日本に進出し、1619年にジャワ島のバタヴィア(ジャカルタ)を拠点とする植民地を築きあげた。

 17世紀初頭にオランダが日本から輸入した銀は年20万キロにも達したが、それは当時ヨーロッパが新大陸から輸入した銀の総量に匹敵するほどだった。しかも、ご存じのようにオランダ人は、長崎の出島での対日貿易を独占し、ポルトガルからマラッカ、インドの拠点を奪い、南アフリカにケープ植民地を経営した。この東インド貿易の全盛期は1660年ごろのことである。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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