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経済的優位をみせつけた第1回「万国博覧会」


経済的優位をみせつけた第1回「万国博覧会」

◎イギリスの「二つの国民」とは?

 1837年にイギリス史上5人目の女王として18歳で即位したヴィクトリア女王は、64年間、「世界の工場」である大英帝国の王として君臨した。

 産業革命後のイギリスは、綿工業、鉄道建設などで、他国の追随を許さない経済力、技術水準を誇っていた。

 そうしたイギリスの力を誇示する場になったのが、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会であり、入場者は600万人にものぼった。会場のハイド・パークには、30万枚ものガラスを使った全面ガラス張りの巨大な大展示場「水晶宮」が建てられ、人々を驚嘆させた。1863年には、ロンドンに世界最初の地下鉄も登場する。この地下鉄はコークスを用いたために乗客は猛烈な煙に悩まされた。

 イギリスにとっての大問題は、繁栄を謳歌し、華美な生活に明け暮れる「資本家・地主・貴族」と、騒音と煤煙に取り囲まれた都市のスラム街で悲惨な生活をおくる「労働者」の「二つの国民」の存在であった。

 当時、イギリス議会はグラッドストンなどを指導者とする「自由党」とディズレーリなどを指導者とする地主・貴族の「保守党」の2大政党制がとられていた。

 自由党は、議会内で優位を得ようとして労働者の段階的な議会参加をおし進めた。この方針により、1867年に熟練労働者に選挙権を与え(第2回選挙法改正)、1870年から72年にかけては普通教育の実施、労働組合の合法化、秘密投票制などを実現し、1884年には小選挙区制の実施を条件に大部分の労働者の選挙権を認める第3回選挙法改正が行なわれた。こうして「二つのイギリス」の解消がはかられ、経済の繁栄を背景に労働者もやっとパブやミュージック・ホールで人生を謳歌できるようになったのである。

◎経済の衰退と植民帝国への転換

 1870年代になると、イギリス経済は繁栄の時代を終えて「大不況」と呼ばれる長い低迷の時代に入った。ある面では、バブル経済が崩壊した後の日本と同じである。そうしたなかで、イギリスは従来の貿易優先の発想を転換して、対外投資により利益を確保する「金融大国」の道を追求することになった。そのためイギリスは、積極的な植民地獲得に乗り出す。ヨーロッパ海域の制海権を握る強大な海軍力が、その後ろ楯になった。

 とくに首相のディズレーリは、議会の承認を得ずにユダヤ人金融家ロスチャイルド商会から400万ポンドを借り、1875年に財政難におちいったエジプト大守がフランスに売却しようとしていたスエズ運河株(全40万株のうちの17万7000株)を購入し、従来のヨーロッパとアジアの距離を6000キロも短縮する交通ルートの要を管理下においた。1877年には植民地インドを「インド帝国」と改めて帝位をヴィクトリア女王に献上し、1878年には東地中海のキプロス島を獲得することになる。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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