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あるベストセラーが「独立」に気づかせた!


あるベストセラーが「独立」に気づかせた!

◎紅茶の押しつけはゴメンだ!

 フランスとの長期にわたる戦争でフトコロが苦しくなったイギリスは、1765年、植民地に対する「印紙条令」を出す。新聞・パンフレット・証券・手形・遺言状・卒業証書・トランプなどに本国なみの、印紙を貼ることを義務づけるものだった。それには新聞発行者や法律家、実業家などを中心に、「代表なくして課税なし」(議会に代表を送っていないから、本国に課税されることはない)をスローガンとする、激しい反対が起こり、英貨のボイコットで条例の撤廃に成功した。

 1773年には、過剰に紅茶を買いつけて財政危機におちいっていた東インド会社を救うために、イギリス政府は「茶条令」を出す。植民地において同社が、茶を無税で独占的に販売してよいとしたのである。これには、ヨーロッパから紅茶を密輸し、消費される茶の約9割を売りさばいていた密貿易商人が怒った。彼らを中心に反対運動が広がり、茶の荷揚げ阻止の動きが強まった。

 そうした動きのなかで茶船3隻がボストン港に入港すると、インディアンに変装した約60人の急進派が船を襲い、大騒ぎしながら342箱(7万5000ドル)の紅茶をボストン港に投棄してしまった(ボストン茶会事件)。ボストン港を巨大なティー・ポットと化し、港の海水の色を赤く変化させるというのである。

 事件が起こると、本国はボストン港を閉鎖し、集会を禁止するなどの対抗策をとった。そのため本国と植民地の対立はさらに激化し、独立戦争が勃発する。

◎戦争の性格を変えたベストセラー

 1775年に本国軍と、1分間で戦闘体制に入れる植民地の民兵(ミニットマン)の武力衝突が起こると、植民地側は「植民地支配の緩和」を求めてジョージ・ワシントンを司令官に戦いに立ちあがった。1776年、本国からの独立を主張するトマス・ペインのわずか8ページからなるパンフレット『コモン・センス』が出版され、3か月で12万部が飛ぶように売れると、戦争の目的が“イギリスからの独立”に転換していった。

 同年7月4日、フィラデルフィアで「独立宣言」が出され、13植民地は独立を宣言する。同宣言では、ジョン・ロックの社会契約説による圧政に対する抵抗権が、独立の根拠とされていた。

◎独立を助けたフランスの怨念

 植民地側は1777年に連合規約を制定し、13邦(States)からなるアメリカ合衆国を成立させた。

 独立戦争の緒戦においては、アメリカでは製鉄が禁じられていたこともあって武器が乏しく、植民地内部の分裂も加わって苦戦を強いられた。しかし、フランスとの同盟に成功すると、ユリの紋章が入ったブルボン家の銃が大量にもたらされ、形勢は逆転した。

 ヨーロッパ諸国は、「覇権国家」であるイギリスをたたく絶好の機会として独立戦争をとらえ、フランス、オランダ、スペインが植民地側を支援し、ロシアなども「武装中立同盟」を結んで間接的に植民地を支援した。そのため、イギリスは孤立し、1783年のパリ条約で13州の独立を認めることになる。

 独立を実現した後、中央政府の権限をどの程度にするかで州のあいだの対立がみられたが、1787年にアメリカ合衆国憲法が制定され、立法・行政・司法の三権分立、州の強い権限を特色とする連邦国家が成立し、1789年にワシントンが初代の大統領に選出された。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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