屠蘇
【とそ】
死者を蘇らせるための飲み物だった!?
元旦の朝に「屠蘇」を飲む風習は中国から伝わった。中国では唐の時代までさかのぼる。屠蘇庵という小屋に隠れ住んでいた孫真人(孫思襞)が、大晦日の夕方、毎年一つの袋に薬を入れて故郷に送り、これを井戸に浸けさせ、元旦の朝に取り出し酒樽に入れて飲むようにさせた。それを村人たちがまねたため、屠蘇庵にちなんで「屠蘇」と呼ぶようになったという。しかし、中国ではこの風習はすでにすたれ、伝わった日本だけに残っている。ちなみに、「屠蘇」の意味は鬼気を屠絶し、死んだ者を蘇らせるということだそうだ。わが国において「屠蘇」を飲む風習が広まったのは、嵯峨天皇の九世紀初めの頃である。宮中では一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を飲むのが決まりだった(すべて薬草を混ぜた酒)。この宮中でおこなわれた儀礼が民間に伝わったのである。医者が薬代の返礼にと配るようになったが、現在でも薬店が年末の景品に「屠蘇散」を配る習慣が残っている。この「屠蘇散」は、山椒、白朮、桔梗、防風、陳皮、肉桂皮、赤小豆の七種類が調合されている。冬は風邪を引きやすいので、防風や白朮など風邪薬にも入っているものが主成分になっていて、桔梗は咳止め、山椒や肉桂皮は胃の薬である。誰から飲むかは地域によって差があるが、基本的に年齢の若い者から順に飲むのが普通だ。これも中国の風習からきたもので、若い者が毒味をするという意味もあったという。しかしながら、これらはとくに西日本に多く見られる風習であり、いまでは正月に飲む祝い酒(日本酒)のことを「御屠蘇」と称している場合がほとんどだ。
| 東京書籍 「雑学大全2」 JLogosID : 14820618 |