100辞書・辞典一括検索

JLogos

34

中国共産党


 中国革命の担い手であり、社会主義建設を国是とする中華人民共和国の指導政党。党員は2006年7月現在、約7080万人。機関紙は「人民日報」。1921年に陳独秀、李大釖らの革命的知識人が中心となり、コミンテルンの指導を受けて創立。24年には第1次国共合作に成功、27年には労農紅軍を創建し、31年には解放区としての中華ソビエト臨時共和国政府を瑞金に樹立した。長征途上の遵義会議(35年)で毛沢東指導権を確立、36年の西安事件の後、抗日民族統一戦線を結成、第2次国共合作が成った。延安の根拠地を中心に基盤を固め、第2次大戦後の国共内戦を経て49年10月1日、中華人民共和国を樹立した。建国後は土地改革社会主義改造に着手したが、50年代半ばから毛沢東主導の急進的な農業集団化始まり、58年には全国の農村が人民公社化された。60年代後半からは毛沢東思想絶対化の下で文化大革命を発動、悲劇的な結末を招いた。76年9月の毛沢東の死後、同年10月の四人組逮捕による北京政変が起こった。その後は非毛沢東化が進み、78年12月の3中全会(中国共産党第11期第3回中央委員会総会)でトウ小平(トン・シアオピン)が華国鋒に代わって党内主導権を確立、「四つの現代化」を目標とする「改革・開放」の政策が行われた。81年6月の6中全会では、胡耀邦(フー・ヤオパン)が主席となり、「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」を採択、毛沢東政治を全面的に否定した。82年9月の第12回党大会からは従来の主席制に代わって総書記制がとられたが、87年1月には胡耀邦総書記民主化に加担したとして解任された。87年秋の第13回党大会(全国代表大会)では趙紫陽(チャオ・ツーヤン)総書記によって、中国社会の現状は未発達資本主義的要素を残す社会主義の初級段階だと規定された。89年6月の血の日曜日事件後には趙紫陽総書記を「反革命暴乱」を煽動したとして解任、江沢民(チアン・ツォーミン)元上海市長が後任となったが、中国の悲劇を代償に同年秋以降、東欧社会主義国が崩れ、91年夏の「ソ連政変」によるソ連共産党解体という社会主義世界の大変動に直面した。92年秋の第14回党大会では江沢民総書記のもとで社会主義市場経済というテーゼを採択し、同時に「改革・開放の総設計師」トウ小平への礼賛ムードが高まった。そのトウ小平が97年2月に死去したのち、中国共産党は同年9月に第15回大会を開催し、「トウ小平理論」を党規約に明記して第2期江沢民体制をスタートさせた。江沢民総書記の権力基盤は強化されたが、党員の不正や汚職も目立ち、経済成長の半面で社会的矛盾が深まった。江沢民2000年春以降、「三つの代表」(党は先進的生産力、先進的文化、人民の利益の代表である)を唱え、01年7月の党創立80周年を迎えた。02年11月の第16回大会で、胡錦涛(フー・チンタオ)が党総書記に就任したが、江沢民は党中央軍事委員会主席の地位を保持、しかし04年9月の16期4中全会で辞任を余儀なくされ、胡錦涛国家主席が党軍事委主席になり、党・政・軍の全権を握っている。




朝日新聞社
「知恵蔵2009」
JLogosID : 14846185