オウム真理教事件
【オウムシンリキョウジケン】
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救済のためならば殺人をも正当化するゆがんだ教義と、敵対者を許さない独善的な体質の下、教祖である松本智津夫(麻原彰晃)被告の指示で、主なものだけでも以下のような数々の凶悪事件が引き起こされた。▼坂本弁護士一家殺害事件=信徒の家族らの相談を受けて教団の被害者対策にあたっていた坂本堤弁護士とその妻子を殺害(1989年11月4日)したうえ、3人の遺体を新潟、富山、長野の山中に埋めた。事件が起きる直前の89年10月に、TBSが教団を批判する坂本弁護士のインタビューテープを教団幹部に見せたうえ、教団の抗議を受けて放送を見送っていたことが判明し、社長が辞任するなどした。▼松本サリン事件=長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙って猛毒のサリンを散布し、巻き添えで近くの住民7人が死亡、約140人が重軽傷を負った(94年6月27日)。当初、第一通報者である会社員の関与が疑われ、行き過ぎた捜査・報道が問題になった。教団の犯行と判明した後、マスコミ各社と警察はこの会社員に謝罪した。▼地下鉄サリン事件=首都中心部を大混乱に陥れるため、ラッシュアワー時の東京の営団地下鉄3路線5列車でサリンを散布、通勤客や地下鉄職員ら12人が死亡、約3800人が重軽傷を負った(95年3月20日)。直前に信徒の親族の監禁致死事件を起こしており、その捜査が教団に及ぶのを免れるのが目的だったという。2カ月前に起きた阪神・淡路大震災と合わせ、日本の安全神話は大きく揺らいだ。地下鉄サリン事件後の強制捜査で、教団の主要幹部は軒並み逮捕・起訴されたが、99年頃から布教やパソコン販売などの活動が再び活発になり、各地で住民とのトラブルが相次いだ。こうした事態を受けて、同年秋の臨時国会で、事実上、教団を対象にした団体活動規制法が成立。(1)公安審査委員会の決定により、公安調査官や警察官は教団の施設に立ち入り、構成員などについて報告を求めることができる(観察処分)、(2)危険な動きや調査妨害があれば、勧誘行為や施設の使用・取得を禁止できる(再発防止処分)、が主な内容で、同法に基づき、公安審は2000年1月、オウム真理教(アーレフと改称)を3年間の観察処分にし、06年1月2度目の観察処分を更新する決定をした。04年2月、東京地裁は松本被告に求刑通り死刑を言い渡した。控訴審の東京高裁10部は06年3月、一審死刑判決を不服とした弁護側の控訴を棄却し、裁判の手続きを打ち切る決定をした。同高裁刑事11部は06年5月、この決定を支持、弁護側はこれを不服として6月、最高裁に特別抗告した。弁護団は7月、「松本被告は訴訟能力が失われている可能性が高い」として、専門的治療が必要とする精神科医の意見書を最高裁に出した。最高裁は9月15日に特別抗告を棄却、松本被告の死刑が確定した。
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![]() | 朝日新聞社 「知恵蔵2009」 JLogosID : 4391200 |