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全人代
【ゼンジンダイ】


 中華人民共和国の立法機関。憲法第57条では「最高の国家権力機関」とある。地方人民代表大会の間接選挙により選出された代表と在外中国人から選ばれた代表とで構成され、任期は5年。現在の第10期代表の総数は約3000人。毎年1回開催される。政治活動報告、憲法改正、法律制定、国家主席及び国務院総理(首相)の選出、予算や経済計画の審議等を職務とする。第1回会議は1954年9月に開催され、中華人民共和国憲法を制定した。文化大革命時代の65年から75年は全人代も開催されなかった。89年3~4月の第7期第2回会議では、保守派の李鵬(リー・ポン)首相の主導下で経済引き締め政策が断行されたが、この政策は早くも90年4月の第7期第3回会議で緩和せざるを得なかった。翌91年4月の同第4回会議では、改革派といわれる朱鎔基(チュー・ロンチー)上海市長(当時)が副首相になるなど、政治潮流の変化が投影された。92年春の全人代第7期第5回会議では、「改革・開放」に消極的といわれる李鵬首相の政治活動報告が、150カ所近くも修正されて可決された。93年春の全人代第8期第1回会議では、従来の「国営企業」を「国有企業」と呼び換えるなど憲法が大幅に改正され社会主義市場経済の方針が採用された。98年春の第9期第1回会議では引退した李鵬首相が常務委員長となり、国務院総理(首相)には朱鎔基副首相が昇格、胡錦涛(フー・チンタオ)党中央政治局常務委員が国家副主席に就任した。99年春の第9期第2回会議では憲法に「トウ小平(トン・シアオピン)理論」が明記された。2000年春の同期第3回会議では朱鎔基首相が西部大開発を提唱して注目され、02年春には党の「三つの代表」が強調された。03年春の第10期第1回会議では、胡錦涛国家主席、温家宝(ウェン・チアパオ)国務院総理(首相)、呉邦国(ウー・パンクオ)全人代委員長の新体制が発足したが、江沢民国家中央軍事委員会主席は05年3月まで留任、胡錦涛国家主席が後任に選出された。05年春の第10期第3回会議では、台湾を目標にした反国家分裂法を制定した。06年春の同第4回会議では、「和諧(調和)社会」建設が提起された。




朝日新聞社
「知恵蔵2009」
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