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柿本人麻呂と和歌三神
【かきのもとのひとまろ】


歌聖や歌仙の中でも柿本人麻呂は別格で、神格化されていた。その名の表記は『万葉集』では「人麻呂」だが、後世には「人麿」や「人丸」と書かれるようになった。平安時代中ごろから、その傾向が増してくる。藤原公任(きんとう)が具平(ともひら)親王とともに人麻呂と紀貫之(きのつらゆき)の歌の優劣を比べたところ、人麻呂が圧倒的にまさっていたという説話も生じた。『拾遺和歌集』には作者を人麻呂とする歌が百四首もあり、これは紀貫之の百七首に次いで多い。ただし人麻呂の実作はほとんどなく、多くは『万葉集』の異伝歌か、『人麿集』に収められた古歌である。当時の人麻呂崇拝の影響で、このように多くの歌が人麻呂に仮託されたといえる。
人麻呂作とされる歌の代表的なものに、『古今和歌集』羇旅(きりょ)の「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く船をしぞ思ふ」がある(→ほのぼのとあかしのうらの…〔〔和歌〕〕)。明石の浦を望む地には、島根県益田市の柿本(人丸)神社と並ぶ、人麻呂ゆかりの神社が建てられている。
平安時代後期の元永元(一一一八)年ごろから、「人麻呂影供(えいぐ)」といって、その肖像を掲げて供物(くもつ)をささげ、歌会が催されるようになった。
後世になると、住吉明神が和歌の守護神と考えられるようになった。これに人麻呂、衣通姫(そとおりひめ)(玉津島明神(たまつしまみょうじん)といわれる)を合わせ、和歌三神とするようになる。(この三神の取り合わせがふつうだが、住吉明神の代わりに山部赤人(やまべのあかひと)を入れることもある。)近世の『百人一首』の版本には、しばしば和歌三神の歌が載せられている。それぞれの歌は、住吉明神が「夜(よ)や寒き衣(ころも)や薄き鵲(かささぎ)の行きあひの間(ま)より霜や置くらむ」、玉津島明神が「立ち返りまたもこの世に跡垂れむ名もおもしろき和歌の浦波」、人麻呂が前述の「ほのぼのと…」である。
人麻呂は、石見(いわみ)の国の柿の大木の下に二十歳ばかりの人として化現したという伝承もある。




東京書籍
「全訳古語辞典」
JLogosID : 5113468