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まつむしとすずむし


現在ではリンリンと鳴くのをすずむし、チンチロリンと鳴くのをまつむしと呼ぶ。しかし、平安時代にはこの呼称は逆ではなかったかという説がかなり流布(るふ)している。確かに謡曲の「野宮(ののみや)」「松虫」には、まつむしの鳴き声がリンリンと記されている。
呼称の逆転については、屋代弘賢(やしろひろかた)の『古今要覧稿(ここんようらんこう)』に記されている。それによると『古今和歌集』の時代には現在と同じだったが、『源氏物語』の時代に逆転したというのである。この説は松平定信(さだのぶ)の『花月草紙(かげつそうし)』、藤井高尚(たかなお)の『松の落葉』、斎藤彦麿(ひこまろ)の『傍廂(かたびさし)』などによって支持され、リンリンという鳴き声は松風の音に似ているから、まつむしと呼ぶ、ともされている。
弘賢が根拠としたものの一つは、壬生忠岑(みぶのただみね)の『大井川行幸和歌序(おおいがわぎょうこうわかじょ)』の記述である。「或る時には山の端に月まつ虫うかがひて琴の音にあやまたせ、或る時には野辺の鈴虫を聞きて谷の水の音にあらがはれ」とあることから、琴の音をまつむし、谷川の水の音をすずむしとしている。もう一つは『源氏物語』鈴虫巻に見られる記述で、「はなやかに」「今めいたる」をまつむし、「声惜しまぬ」をすずむしとしたものである。
しかしいずれも根拠が曖昧(あいまい)で、また、弘賢自身も江戸や諸国と京都とは相違があるとも言っており、呼称の相違は時期よりも地域の問題とも考えられる。結局、現段階では弘賢の説は不確実とするのが妥当と言えよう。
和歌ではまつむしが詠まれることが多い。『古今和歌集』にはまつむしだけが見られ、その名から「待つ」を連想するのが定着しており、「秋の野に人まつ虫の声すなり我かと行きていざとぶらはむ」〈秋上・二〇二・詠み人知らず〉などがある。すずむしはやはりその名から「鈴」を連想させ、「振る」などを縁語とし、『源氏物語』桐壺(きりつぼ)巻には「鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜飽かずふる涙かな」とある。




東京書籍
「全訳古語辞典」
JLogosID : 5113492