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人には告げよ


わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出(い)でぬと 人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
〈古今・羇旅・四〇七・小野篁(をののたかむら)〉
[訳]「大海原を多くの島々を目ざして舟を漕ぎ出していったと、都にいる親しい人に告げてくれ、漁師の釣り舟よ」
<参考>『古今和歌集』の詞書に「◎隠岐(おき)の国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、京なる人のもとに遣はしける」とある。篁は承和三(八三五)年遣唐副使に任じられたが、風波に妨げられてようやく二年後に渡航することになったときに、大使藤原常嗣(つねつぐ)と乗る船をめぐって争いを起こして任務を拒否し、「西道謡(さいだうのうた)」という詩を作って遣唐使を諷刺したので、嵯峨(さが)天皇の逆鱗(げきりん)に触れ、流罪(るざい)となった。この歌は、難波津(なにわづ)(→なにはづ[1])からの隠岐への出立(しゅったつ)の際に詠まれたものである。その後、承和七年二月に、篁は罪を許され召喚されている。「かけて」は、目ざしてのほかに、島々の間を縫うようにして、島々に心を寄せてなどの解釈もある。第五句は、擬人化した「海人の釣り舟」に呼びかけ、寂寥(せきりょう)や不安の思いを託している。『小倉百人一首』の作者表記は「参議篁(さんぎたかむら)」である。




東京書籍
「全訳古語辞典」
JLogosID : 5113618