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なぜ平安時代の貴族は白塗り?


①感染症を恐れた
②照明がなかったから目立つように
③臭い消しのため





正解は②です。確かに平安時代の貴族はお風呂(ふろ)に入らなかったので臭かったようですが、当時のおしろいには消臭効果はありません。臭い消しには香を焚(た)いていました。
平安時代に照明はありませんでしたから、部屋の中は昼でも薄暗く、夜になればロウソクをつけたところで相手の姿が薄ぼんやりと浮かぶ程度。そのような薄暗い中で、少しでも顔が目立つようにとおしろいを塗ったのです。貴族にとっては目立つ=美しいということだったようです。
おしろいが初めて中国からもたらされたのは七世紀前半のことでした。遣隋使(けんずいし)によって運ばれてきましたが、当時はまだ航海術が未熟でしたから、おしろいはきわめて高価で、ごくごく一部の人たちのものでした。
六九二(持統六)年に沙門(しやもん)観成が鉛でできたおしろいを開発し、それに続いて七一三(和銅六)年に水銀でできたおしろいが登場しました。これによって貴族の間におしろいが爆発的に広まりました。しかし、鉛や水銀が原料だったため、貴族たちの健康はおしろいによって蝕(むしば)まれ、早死にすることが多かったようです。
この白塗り文化は江戸時代中期、元禄時代には町民にまで広まり、一九〇六(明治三九)年に資生堂の前身である西洋調剤薬局が「肉色粉おしろい」という肌色のおしろいを発売するまでのおよそ一二〇〇年間続きました。
もし、資生堂が「肉色粉おしろい」を発売していなかったら、いまだに街中を白塗りの人が歩いていたかもしれません。




角川学芸出版
「無敵の雑学」
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