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旭岡
【あさひおか】


(近代)昭和18年~現在の行政字名。はじめ鵡川(むかわ)村,昭和28年からは鵡川町の行政字。もとは鵡川村大字生鼈村の一部,ヲトイズミブ・ヲトイツミ・キリカチ・イクベツ沢・イクベツ・ヲトイツミップ・生鼈沢・生鼈・バンケシントコ・キキンニ・パンケッチチャップ・ペンケチャップ・バンケチャプ・中キナウス・ニナウスナイ・キシナイ・キシニツト・キナウス。地名の由来は,町の東方にあって南に面する丘はいち早く朝日に浴することによるという(昭和18年鵡川村字名改称地番整理ニ関スル件調書)。かつては生鼈の一部で,空内(くうない),切勝,中央生鼈,キキンニなどに分かれていた。明治27年富山県人の島野竹吉,翌28年にはキキンニ地区に福井県人辻豊松が入植し草分けとなる。大正5年ききんに神社,同8年八幡神社を創設。昭和18年は翼賛部落会で2区に分かれ,世帯数・人口は,旭岡1区49・268,旭岡2区6・36。第2次大戦中千歳飛行場拡張工事が行われ,昭和18年から終戦まで鵡川流域一帯の良質砂利を大量に採取。この工事により平取から電灯,電話が導入された。昭和18年8月北海道鉄道(金山線)は買収され,国鉄富内線となり,上鵡川駅は豊城駅,生鼈駅は旭岡駅と改称された。同年11月路線変更が行われ沼ノ端駅~豊城駅間は撤去された。同23年旭岡農協を創立,同27年解散,鵡川農協旭岡支所となった。昭和25年の鵡川村の自治会制では旭岡1区,旭岡2区,旭岡キキンニの3自治会に分かれていた。同39年旭生橋(永久橋)完成。同42年~43年団体経営による旭岡地区(キキンニ)開拓パイロット事業が実施され,9戸が参加22haを開田。キキンニ地区は鵡川町の最北の集落で,昭和38年谷川湧水を利用して簡易水道を施設,同39年電灯を導入。同55年穂別町字仁和との間で境界変更を実施。世帯数・人口は,昭和25年92・506,同35年101・452,同45年70・271,同50年63・207。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7000185