旭川六条教会
【あさひかわろくじょうきょうかい】

旭川市6条10丁目にある日本基督教団所属のプロテスタントキリスト教会。旧日本組合教会派。明治26年5月京都府何鹿郡田野村出身の丹波第一基督教会員田中敬造は,留岡幸助の勧めに応じ北海道開拓を決意,小北甚之助らを同道して旭川に移住し,日曜ごとに聖書集会を開催した。同年7月北海道基督伝道義会の須藤鬼一の応援を受け,翌27年組合教会系の伝道師尾崎善蔵が旭川に来て,日曜学校を開設,旭川組合教会講義所を設立した。明治30年アメリカ伝道会社の北海道ミッションステーションの鉄道部設置により教会に鉄道官吏らが参加,牧師館兼教会を1条通5丁目に設置。明治31年1月杉浦義一が牧師に就任し,永山・比布などへ巡回伝道を行う。明治34年3月婦人矯風会を組織,同年10月講義所を廃して旭川組合基督教会を設立し,翌35年6月2条通10丁目に会堂新築,同39年1月自給独立教会となる。明治36年旭川禁酒会を設立。明治42年2月,日曜学校校長で鉄道基督教青年会の指導者でもあった長野政雄が鉄道事故で殉職(長野政雄は三浦綾子「塩狩峠」の主人公となる),信仰による死として大リバイバル運動が旭川のほか道内各地で展開された。明治42年に比布講義所,同44年には永山講義所を開設したが,それぞれ大正15年・13年に閉鎖された。教会員の多数は田中敬造を筆頭に入植で成功した実業家であり,教会は財政的に恵まれていた。ほかに鉄道関係者,旭川師団の軍人家族がいる。大正2年図書館教会文庫を設置。昭和2年相愛幼稚園開園(昭和10年閉園),同15年のぞみ幼稚園開園。教会堂は大正4年に5条8丁目に移築,昭和2年現在地に移転し,同49年現在の新会堂を建設した。昭和16年日本基督教団の成立に参加し日本基督教団旭川六条教会と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7000196 |