五十嵐
【いがらし】

(近代)昭和9年~現在の行政字名。はじめ樽岸村,昭和30年三和村,同34年1月三和町,同年5月からは黒松内町の行政字。もとは樽岸村大字湯別村の一部,エンガライス・中ノ川・万之助沢・添別。地名は,アイヌ語のインカルシ(いつもそこへ上って敵を見張ったり,物見をしたり,行く先の見当をつけたりする所の意)に由来する(地名アイヌ語小辞典)。「殖民地撰定調査書」によれば,明治26年当時,五十嵐川下流域にはすでに2,3戸の農家があり,また同36年には水利をもってデンプンを製造している(後志興農株式会社記録)。戦後樽岸旧石器が出土した上流の高台が開拓地に区画され,樺太(からふと)(サハリン)・満州(中国東北部)からの引揚者をはじめ,静岡県人など21戸・82人が入植。昭和27年中ノ川小学校五十嵐分校設置。同30年の世帯数40・人口232。積雪間は各戸が孤立するような環境のため,同47年肉牛生産を目的とする日東農場に経営地を現物出資して全員が離農した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7000460 |





