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石狩渡船
【いしかりとせん】


石狩川河口にあった渡船場。石狩市本町と八幡町を結んだ。昭和53年3月31日に廃止された。松浦武四郎の「西蝦夷日誌」には,「此処をホリカムイといふ。勇払出稼小屋あり。船渡し,往昔は運上屋にて名前相改無賃銭にて渡したるを安政戊午(5年)の春直場所に成て一人前五十文充をとる也」「東岸ワゝウシ(渡場)と云」とあり,古くから渡し場が設けられていた。明治5年小山某が開拓使の許可を得て,私設渡船場を開いたのが制度としての始まりで,翌年石狩沿岸の漁場が一般に払い下げられ,渡船は急激ににぎわい,開拓使の渡船制度の統一により,石狩渡船は川幅220間,渡し賃人3銭馬5銭となった。明治18年から船の新造・修理費は地方費で負担し,渡船料金は人馬とも1銭となった。昭和27年個人請負経営から町直営の有料渡船となり,同29年の料金は大人5円,子供3円,トラック100円,乗用車70円,バス150円であった。はじめは木造船らんこう丸が馬船に車を乗せて引いたが,昭和34年にはカーフェリーおやふる丸が就航。昭和28年に渡船を介する札幌~留萌(るもい)間が国道231号となり,翌29年渡船も国道となり札幌開発建設部が管理し,石狩町に業務を委託,同30年に無料となった。最盛期の昭和46年には1日4,000~5,000人,1,500~2,000台が利用したが次第に減少した。昭和47年上流2kmに石狩河口橋が完成して再び町営渡船となったが,利用者の減少や人件費・資材の高騰で赤字経営が続き,昭和53年3月終航式が行われた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7000524