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江差街道
【えさしかいどう】


渡島(おしま)半島西側の江差と東側の函館とを結ぶ道路。現国道227号。かつては江差山道・鶉山道とも呼ばれ,難所の1つとされた。街道は古くからアイヌに利用されていたが,明瞭な道路とはなっていなかった。安政5年江差の商人鈴鹿甚右衛門と漁民長坂庄兵衛の協力により街道の本格的工事が始められた。大正8年の道庁の記録では,人夫70人を二手に分け,東西両端から着工し,道幅2間(3.64m),延長11里(約42.9km),大小の架橋7か所,総工費8,000両であった。明治3年真宗大谷派現如上人がこの街道を通り江差に向かう折,木間内の麓長吉宅に宿泊し,宿主に3,800両を渡して,街道の改良工事を請け負わせた。工事内容は不明だが,市渡(大野町)~木間内(厚沢部(あつさぶ)町)間の架橋工事も行われたという。若林功の「北海道開拓秘録」には,現如上人の道路開削分に,鶉~大野間46km,鶉~俄虫(がむし)間30kmも含まれる。明治15年には街道沿いの住民7人の連署による奉願書が当時の函館県令時任為基に提出された。この奉願書には山越えの苦労が切々と訴えられており,これにより従来の奉仕的事業に代わって,官として工事が行われることになった。工事は明治18年に起工し,翌年末に完了,工事区間62.8km,予算10万余円,工夫延べ3万6,000人,危険箇所の開削二十数か所にわたるもので,札幌本道以上の難工事であったという。戦後北海道開発庁が誕生し,この街道は国道227号として整備改良が進み,第4次道路整備5か年計画(昭和39~43年)の整備重点路線としてほぼ全線(69.3km)が舗装改良された。12時間当たりの路線平均交通量6,673台(昭和60年)。




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「角川日本地名大辞典」
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