100辞書・辞典一括検索

JLogos

59

大金
【おおがね】


(近代)昭和26年~現在の浜頓別町の行政字名。もとは頓別村の一部。珠文岳の語源はアイヌ語のシュプンで,ウグイに関係があるとされていたが正しくはスプ・ウンで「激湍がそこにある」の意と解される(地名アイヌ語小辞典)。明治31年砂金発見以来多くの探鉱者がウソタンナイ川をさかのぼり,あるいは枝幸(えさし)の目梨泊から峠を越えて往来したが,現在はまったく無人。ウソタンナイ川支流のナイ川は,金が出ないところからナイ川と呼ばれたが,同33年205匁の金塊が発見された。この川の原名エトルシュオマプはアイヌ語のエトクスマオマンペシで,エトクは「水源,行先」,スマは「岩石」,オマンペシは「崖が長く続く状態」を指す。明治末期に建てられたといわれる無縁仏の石塔,昭和7年頃の金山神社跡,ナイ川上流の同10年頃のコンクリート樋,明治33年採金に従事した米人の事務所跡などがある。馬が集まった馬道落合,採金者の老婆が,倒れ木の下敷になって死んだといわれるババ殺しの沢などの地名もある。明治32年ウソタンナイ川支流のシュプウンナイ川流域3万5,000坪を採金のため枝幸村の広谷季太郎らが出願。出願者が相次ぎ,出願地は幾重にも重複した。昭和12年大金が通称字名として見える。当時の集落は,明治期の集落から3kmほど下流のポロウエンナイ付近。戦後ウソタン川流域および当地で3回目の砂金ブームが起こり,企業は機械を使って採取したが採算がとれず廃業。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7001168