100辞書・辞典一括検索

JLogos

40

長和
【おさわ】


(近代)昭和16年~現在の行政字名。はじめ穂別村,昭和37年からは穂別町の行政字。もとは穂別村大字穂別村の一部,奥穂別・上穂別・ヌタポマナイ・ヌタポバナイ・ポペツ・ホペツ・ポベツ・ヲヒラルカヌタホロナイ。かつて奥穂別あるいは上穂別と称された地域。明治38年鳥山源次郎など8戸が入地,翌39年28戸を数えた。明治38年八幡宮を創設,同40年奥穂別簡易教育所(長和小学校)を開設。同42年王子製紙苫小牧工場が製紙用原料材を搬出したため,一時は大いににぎわいをみせた。大正6年,教育所は奥穂別尋常小学校となり,同13年上穂別尋常小学校と改称。大正8年真宗大谷派奥穂別説教所(円満寺)創立。小学校の児童数は大正11年61,同15年65,昭和4年83(穂別町史)。長和国民学校は同18年高等科を併置。同21年地内奥地に新登川炭鉱が開坑,翌22年の生産量は2万9,028t(同前)。昭和21年長和国民学校新登川分教場開設,同22年新登川小学校となり,同24年新登川中学校を併置,同26年には小学生125・中学生60(同前)。昭和22年穂別消防団新登川分団設置。新登川炭鉱は昭和29年閉山。同29年消防分団解散,同32年新登川中学校,同45年新登川小学校が廃校。長和地区でも昭和43年長和中学校,同51年長和小学校が廃校。昭和46年地内南方に農業用穂別ダムが着工,十数年を経て貯水量1万tをもって完成,穂別・鵡川(むかわ)・占冠(しむかつぷ)の2町1村の水資源を確保。世帯数・人口は,昭和40年109・443,同50年15・46。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7001435