神丘
【かみおか】
(近代)昭和8年~現在の行政字名。はじめ利別村,昭和22年からは今金町の行政字。もとは利別村の一部,インマヌエル。旧名インマヌエルは,「新約聖書」に基づき,「神我と共に存す」の意味である。当地はもと犬養毅らの国民党員が貸付けをうけた土地の一部。同志社の学生志方之善・丸山要次郎らは,キリスト教徒の新天地を北海道に建設しようと,犬養に面会して,利別目名川以東,チブタウシナイ川までの約200町歩の代耕を契約した。同26年埼玉県出身の天沼恒三郎らの聖公会信徒が当地の同志社系の入植者に合流することになり集団移住した。同28年犬養毅らへの貸付地は開拓不成功のため返還を命じられたが,志方・丸山をはじめ神丘の入植者は北海道庁に開拓の実績を認められ,新たに貸付地を与えられた。同28年聖公会利別教会として草葺の礼拝堂が建てられた。同年教育場を開設。同31年第一利別簡易教育所設置。同年組合教会インマヌエル教会として笹小屋の教会堂が建てられたが,同教会は翌32年今金市街に移転。明治31年斎藤喜八が紋別よりプラオを移入,初めて馬耕を行う。同33年天沼喜蔵が札幌種畜場より初めて豚2頭を導入。同39年川崎徳松が搾乳目的で牛を移入。同41年簡易教育所が第一利別尋常小学校になる。大正4年イマヌエル共栄信用購買販売組合を結成。同9年神丘土功組合が設立,神丘灌漑溝を着工。昭和2年第一利別尋常小学校は今縫留(いまぬえる)尋常小学校と改称。同年神丘・メップ・南利別の3組合を合併し,有限責任利別信用購買販売利用組合設立。同6年今金と神丘を包含する今金集乳所が設置された。同7年国鉄瀬棚線今金~瀬棚間が開通,同36年神丘駅開設。昭和9年尋常小学校名を今縫留から神丘と改称。同22年神丘小・中学校開設。同年より聖公会の教会堂と牧師館を組合教会の牧師が利用する形で合同教会が成立。同29年組合教会は今金市街に移って利別教会と称し,インマヌエル教会も日本聖公会に復帰して,合同教会は消滅。昭和25年の世帯数154・人口1,015(今金町史)。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7002022 |