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銀山
【ぎんざん】


(近代)昭和48年~現在の仁木町の町名。1~3丁目がある。もとは仁木町大字大江村の一部,マクンベツ・マグンベツ・馬群別・前マクンベツ・マクンベツ長沢・エサリベツ・エサリベツ中島・タッコ川・下オンネナイ。銀山の名は,明治38年北海道鉄道の駅開設に際し,同駅からルベシベ,大富鉱山などの銀鉱石が積み出されたことにより命名された。地内には,イチャンペツ(サケが産卵する川の意)が和人流になまった漁別種川(イチャンペツの意訳),魚が多量に獲れるので台所が賄えたことにちなみ名付けられたマカナイ川といったように魚にちなむ川名が多く,開拓期には,多くの魚が生息していたと思われる。通称字名のマグンベツは,当初は馬群別と書いてマクンベツと呼んでいたが,どちらもアイヌ語地名のマクウンペツ(山奥にある川の意)によるという。エサリベツは,アイヌ語のイチャンペツによる。馬群別は毛利家によって開拓され,明治15年官有地であった下馬群別・中馬群別の払下げを受けたのに始まる。同24年青森県・秋田県・岩手県から8戸が入植したが,炭焼きに従事しただけだった。鉄道工事の枕木と然別鉱山用の木炭が必要となり,同26年には木炭が月2万貫,枕木は鉄道人夫50人で伐り出すようになった。同27年兵庫県城崎郡の行李業者山川滝五郎が官林110万坪の貸下げを出願。郷里から行李製造用の柳苗を取り寄せ,同28年11戸,同29年17戸,同30年46戸の入植者を入れ,枕木と柳材料を生産し,同32年職人15戸を呼び寄せた。同38年北海道鉄道銀山駅の開設により,輸送が可能になったため,山川柳行李合資会社を設立。明治30年毛利家は愛媛県人久保勘次郎に50万坪を7,500円で,福井県人河崎金兵衛に20万坪を3,000円で売り,残りの11万坪を毛利事務所監督員の槙峠幾太郎の所有とし,仁木開拓から手を引いた。同35年稲穂トンネル工事に着工。同36年には小樽市奥沢まで抜ける植民道路の開削工事開始。同37年郵便局開局。同40年巡査駐在所が設置され,大江から上山道・漁別(いざりべつ)・尾根内(おねない)・長沢を管轄。同44年の住民は兵庫県人が最も多く,戸数145・人口808に達した。明治38年真宗興正寺派の浄宣寺に布教師が置かれた。明治34年馬群別簡易教育所が設置,同41年馬群別尋常小学校,大正14年馬群別尋常高等小学校,昭和22年銀山小学校となる。同23年尾根内分校,同24年長沢分校が分離独立。昭和22年銀山中学校開校。大正2年曹洞宗願王寺創立。明治32年創立の女代神社があり,祭神は高皇産霊神・神皇産霊神。昭和23年銀山農協が創立,同27年青年部,同32年婦人部を組織。昭和26年戦後の孤児救済のため桜ケ丘学園を設立。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7002691