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国道
【こくどう】


 国道5号 函館市と札幌市を結ぶ一般国道。実延長282.1km。函館駅前を起点に,森―長万部(おしやまんべ)―倶知安(くつちやん)―小樽を経て札幌市に至る。函館~森間は,明治5年に着工された札幌新道のルートと重なる。札幌新道の工事は約5か月で完了し,国道42号(後に4号,さらに5号と改称)とされ,幅員は狭い所で5間(約9m),広い所で13間(約24m)であった。後に両側に樹木が植えられ,今日も「5号線の松並木」として残る。この道路とほぼ同じ時期に小樽周辺の道路の改修も行われた。国道5号の本格的な整備・改修工事は昭和25年の北海道開発局発足以後で,モータリゼーションの進行に伴って急速に進展したが,札幌~虻田(あぶた)間の国道230号の整備・改修,さらに長万部~室蘭間の国道37号の静狩峠の改良工事が進むに従い,函館~札幌間の交通は,長万部―虻田―中山峠―札幌間の国道37号および国道230号が中心となった。国道5号の函館~長万部間では森バイパス・八雲バイパスの完成により,市街地の通過を避けることができたが,片側1車線区間が多く,早期拡幅が望まれる。12時間当たりの路線平均交通量8,598台(昭和60年)。 国道12号 札幌市と旭川市を結ぶ一般国道。総延長140.1km,実延長137.7km。札幌市を起点とし岩見沢市を経由,空知地方を縦断して旭川市に達する,道央の大動脈をなす主要幹線道路。札幌~旭川間の道路開削は,明治20年代初期に始まり,市来知(いちきしり)(岩見沢の東隣)~忠別太(旭川)間の上川道路の開削は大工事として知られる。同じ頃,岩見沢―幌向(ほろむい)―江別間,札幌~江別間の道路も開削された。この区間は幌内炭山の石炭輸送を目的とし,鉄道は既に明治15年に開通していた。上川道路沿いにも,鉄道がほぼ並行して敷かれ,明治24年に空知太,同31年に旭川に達し,以後道路と鉄道(函館本線)が沿線の発展に寄与した。このルートは,大正9年の国道の認定で道内初の国道の1つに指定されて国道27号となり,昭和28年には国道12号と改称された。12時間当たりの路線平均交通量1万5,238台(昭和60年)。 国道36号 札幌市と室蘭市を結ぶ一般国道。総延長137km,実延長132.8km。札幌市を起点とし千歳市・苫小牧市を経て,室蘭市に至る。以前の札幌本道。このルートは,函館との交通が現在の国道5号(小樽経由)に移る明治後半頃から室蘭街道といわれ,大正9年国道28号となっても長く用いられた。昭和28年国道36号と改称され,札幌~千歳間に道内初の本格的アスファルト舗装道路が完成してからは,弾丸道路の名で知られた。当時千歳にはアメリカ駐留軍基地や保安隊(後の自衛隊)キャンプの施設があり,また日米平和条約締結(昭和26年)直後,民間航空が再開され,千歳~東京間に航空路が開設されたこともあり,同27年に条約に伴う日米安全保障費により舗装に着工した。舗装にあたっては,凍土を防ぐため表土を深く取り除き,火山灰を厚く敷くなど,寒冷地ならではの工夫が図られた。各地に国道の舗装が普及して初めて国道36号の名称が一般化した。その後,道路の屈曲部の緩和,交通量の多い箇所での4車線拡幅など,路線の改善が進められた。アスファルトの路面が,冬季のタイヤチェーンにより著しく磨耗することから,アスファルト混合材料の研究が進められ,その試験路として千歳市上長都(かみおさつ)に昭和33年に副道が造られ,材料改善に成果をあげた。この種の試験道路の第1号で,現在は冬季のスパイクタイヤ装着車による道路の磨耗と,粉塵公害に対処する試験が行われている。沿線には多くの内陸型企業が本州から誘致され,恵庭市・千歳市には工業団地が形成され,苫小牧工業港の成立と千歳空港に近接していることで交通立地型企業も増加した。大型車両をはじめとする車交通の増大は,この道路に並行する北海道縦貫自動車道(道央自動車道)の建設を促進し,北海道経済の大動脈の役割を果たしている。12時間当たりの路線平均交通量1万7,859台(昭和60年)。 国道37号 渡島(おしま)地方長万部(おしやまんべ)町と室蘭市を結ぶ一般国道。実延長81.1km。内浦湾沿いに胆振(いぶり)地方虻田(あぶた)町,伊達市などを経て室蘭に至る。長万部町と胆振地方豊浦町との境界には蝦夷三大難所の1つで明治27年に改修された礼文華(れぶんげ)峠(道路標高238m)がある。一帯はカーブの続く山道であったが昭和37~40年に改修工事が行われ,同41年には全長1,152mの礼文華トンネルが完成した。12時間当たりの路線平均交通量7,857台(昭和60年)。 国道38号 滝川市と釧路市を結ぶ一般国道。実延長298km。根室本線に一部並走しながら,芦別市・富良野市・帯広市・釧路地方白糠(しらぬか)町を経て釧路市に至る。上川地方南富良野町と十勝地方新得町の境界には道路標高644mの狩勝峠があり,十勝地方豊頃町に昭和58年に完成した豊頃大橋(984m)で十勝川を渡る。また芦別市では昭和39年に完成した全長680mの野花南トンネルを通る。12時間当たりの路線平均交通量6,803台(昭和60年)。 国道39号 旭川市と網走市を結ぶ一般国道。実延長217km。道央と道東を結ぶ最重要幹線道路の1つで,旭川からほぼ石狩川沿いに愛別町を経て上川町に至る。上川―層雲峡―大雪ダムの30km余は,国道273号(帯広市~紋別市間)と重複し,石北峠を越える留辺蘂(るべしべ)町―北見市―端野(たんの)町―美幌(びほろ)町―女満別(めまんべつ)町を経て網走市に至る。なお美幌~網走間31kmは国道240号(釧路市~網走市間)と重複。この国道の主要部は,明治22~24年に開削された北見道路を踏襲。昭和27年12月新道路法の施行により1級国道39号が誕生した。途中の経由地は,ほぼ北見道路と一致するが,北見道路の端野~網走間は,網走湖の北西岸を通ったのに対し,新生の39号は,網走湖の東岸を走り女満別・美幌を経て端野町に入る。昭和32年上川~留辺蘂間の最短コースである石北峠越えが開通し,同35年路線の変更が行われ,昭和40年道路法の改正により,現在の一般国道39号となった。12時間当たりの路線平均交通量は6,369台(昭和60年度)で,狩勝峠越えの国道38号よりやや少ないが,ともに道央から道東に通ずる2大幹線路となっている(北海道の道路)。 国道40号 旭川市から稚内(わつかない)市に至る一般国道。実延長250.2km。旭川市から北上し,上川地方・留萌(るもい)地方・宗谷地方の12市町村を経て稚内市に達する。明治22年岩見沢~旭川間の上川道路,同24年旭川~網走間の北見道路が開通。北海道の幹線未開通道路の最後として,明治29年5月旭川から起工,当初仮定県道天塩道といわれ,同33年名寄,同35年に美深,同36年咲来(さつくる)(音威子府(おといねつぷ)村)まで達した。しかし咲来~誉平(ぽんぴら)(現中川)間は天塩川に開析された峡谷で工事は一時中断,同39年準地方費道名寄停車場天塩港線として再開し,同41年開通。一方天塩港は当時ニシン漁で繁栄し,明治35年天塩~稚内間はすでに開通していた。この開削道路の大部分は刈分け道で車馬の通行は不可能であったという。その後改修や路線の変更を経て現国道40号となった。旧路線との最大の変化は天塩町の雄信内(おぬぷない)~天塩大橋間で,旧道は天塩港東部に出,現国道232号を通り天塩大橋に達したが,現路線は天塩町北東部の産士(うぶし)を経て同大橋に至る短絡路線となった(昭和41年)。旭川~稚内間は新道路法により昭和27年1級国道40号,同40年に一般国道40号に指定された。昭和45年全線舗装完了。昭和60年度の路線平均交通量は4,603台(12時間当たり)で国道12号と比べると,3分の1以下である(北海道の道路)。 国道44号 釧路市と根室市を結ぶ一般国道。実延長122.9km。根室本線に一部並走しながら,釧路地方の釧路町・厚岸(あつけし)町・浜中町を経て根室市に至る。途中,釧路市内で国道391号(釧路市~網走市間),国道272号(釧路市~標津(しべつ)町間),根室市内で国道243号(網走市~根室市間)を分岐し,厚岸町内で主要道道の厚岸標茶(しべちや)線・別海厚岸線と交差する。また終点には根室半島先端部を一周する主要道道根室半島線が接続する。12時間当たりの路線平均交通量5,032台(昭和60年)。 国道227号 ⇒江差街道(えさしかいどう) 国道228号 函館市と檜山地方江差町を結ぶ一般国道。実延長152.6km。松前半島のほぼ海岸沿いに渡島(おしま)地方の上磯町・木古内(きこない)町・福島町・松前町を通り,檜山地方の上ノ国町を経て江差町に至る。松前町までは松前線と並走し,同町内で海上に架かる橋長340mの大磯橋(昭和53年完成)を渡る。12時間当たりの路線平均交通量3,579台(昭和60年)。 国道229号 小樽市と檜山地方江差町を結ぶ一般国道。総延長288.1km,実延長280.2km。小樽市を起点とし渡島(おしま)半島の日本海岸沿いに,江差町に達する。ただし積丹(しやこたん)半島の西北部,沼前(のなまい)岬と川白岬の間7.9kmは,100m余の絶壁が直接海に臨むため陸路は全くない。積丹半島は江戸期にその基部を結ぶ稲穂峠越の道(国道5号)ができ,半島中央を横断する道道古平神恵内線が戦後開通しており,半島東西の連絡にはさほどの障害はない。国道229号沿道には山地が直接海に迫る難所が多く,交通が容易になったのは戦後である。岩内~磯谷間の旧雷電山道部分は昭和38年に海岸沿いに完成,狩場山地の迫る旧茂津多(もつた)山道部分は昭和51年に沿海に多くのトンネル・覆道を通して完成した。北海道最西端の尾花岬付近のみ,道路は内陸深く入り,北檜山町から大成町に抜ける。路線の大半は江戸期~明治期の主要陸路である西海岸道が占め,寿都(すつつ)・岩内・古平・余市などかつてニシン漁場として栄えた地が続き,追分ソーランラインの愛称があり,各地に往時をしのばせる網元の家(ニシン御殿),番屋,石積みの船入澗などが散見される。このルートは,北からニセコ積丹小樽海岸国定公園,狩場茂津多道立自然公園,檜山道立自然公園を通過し,屈曲に富む岩石海岸風景,ひなびた温泉,幕末期の悲話・伝説を残す名所旧跡,海釣りや海水浴の好適地など,観光コースとしてもクローズアップされ,地元の経済活動に一役買っている。12時間当たりの路線平均交通量2,008台(昭和60年)。 国道230号 札幌市と檜山地方北檜山町を結ぶ一般国道。実延長160km。札幌市を起点とし,渡島(おしま)半島北部日本海岸の北檜山町に至る。札幌から豊平川沿いに定山渓温泉・中山峠を抜け,後志(しりべし)地方の山間を通って洞爺湖畔から内浦湾岸に出る。湾岸の虻田(あぶた)町~長万部(おしやまんべ)町間は国道37号,長万部町内では一部国道5号と重用し,長万部町国縫(くんぬい)から日本海岸に向かって渡島半島を横断,今金町を経て北檜山町に達する。札幌~虻田間は江戸期から利用されたルートだが,大半は明治4年に東本願寺により開削された本願寺道路を踏襲し,旧本願寺道路の一部は,定山渓国道・中山国道・洞爺国道などと呼ばれた。国縫~北檜山間はこれを横断して日本海側に出易かったことから,明治24年に新道が開削され,中間の今金町が農村として開拓された。途中に中山峠,国道37号と合する間の礼文華(れぶんげ)峠など屈曲の多い難所をもつが,支笏洞爺国立公園の山間美,羊蹄山麓のジャガイモなどの畑作,長万部~今金間の酪農など,沿道は変化に富む。12時間当たりの路線平均交通量5,855台(昭和60年)。 国道231号 札幌市と留萌(るもい)市を結ぶ一般国道。実延長135.1km。札幌市を起点とし,北の石狩市から日本海岸沿いに留萌(るもい)市に至る。石狩~札幌間には明治初期に石狩街道が開かれ,石狩~留萌間は幕末には濃昼(ごきびる)・送毛(おくりげ)・雄冬(おふゆ)などの山道も開削されていた。明治末期頃からの漁業不振と内陸開発により道路も断続的になり,南の石狩市~厚田村間は石狩川河口の渡船を通る路線,北の留萌~増毛(ましけ)間は増毛国道が利用されたが,中間の浜益村は孤立して内陸の滝川市経由で連絡する状態となった。昭和28年,かつての日本海沿いのルートが国道231号に指定され,石狩川には河口橋が完成したが,海岸沿いに難工事が続き,昭和56年の雄冬トンネル開通でやっと全通し,幻の国道の異名を返上した。海岸美の観光レクリエーションのコースとして,沿道漁村地帯の振興に寄与する期待が高まっている。12時間当たりの路線平均交通量3,157台(昭和60年)。 国道232号 稚内(わつかない)市と留萌(るもい)市を結ぶ一般国道。稚内市から留萌地方幌延町までは国道40号と重複。幌延町以南の実延長129.6km。留萌地方を海岸沿いに天塩町・遠別(えんべつ)町・初山別(しよさんべつ)村・羽幌(はぼろ)町・苫前(とままえ)町・小平(おびら)町と南下し,留萌市に至る。12時間当たりの路線平均交通量2,488台(昭和60年)。 国道233号 旭川市と留萌(るもい)市を結ぶ一般国道。旭川市から深川市までは国道12号と重複。深川市以西の実延長51km。深川市で石狩川を渡り,空知地方の秩父別(ちつぷべつ)町を通り,北竜町で雨竜川を渡った後,留萌市に入り,留萌川沿いに北西に進む。石狩川に架かる深川橋は昭和37年に完成したランガー橋で,長さ482m。12時間当たりの路線平均交通量4,387台(昭和60年)。 国道234号 岩見沢市と苫小牧市を結ぶ一般国道。実延長70km。岩見沢市を起点とし,空知地方南部と胆振(いぶり)地方東部を結んで,苫小牧市に至る。明治10~20年代初期に,東方に幌内・幾春別(以上三笠市)・夕張(夕張市)の各炭山の発見と開坑が進み,やや遅れて西の栗沢・栗山・由仁(ゆに)・早来(はやきた)など平地に入植開拓が行われ,鉄道(室蘭本線)と道路とが前後して山麓沿いに開通した。室蘭本線は石炭輸送が主で,長く貨客混合列車の利用が続き,道路は局地的利用にとどまった。由仁町以南では火山灰土壌のため水田が少なく,大正末期以来酪農が発展し,道路の利用度も高く,この道路は由仁国道・早来国道とも称した。昭和28年,国道234号に指定され,道路の改修・舗装化が進み,石炭産業の衰退した現在,一帯では道路交通が主力となっている。12時間当たりの路線平均交通量6,587台(昭和60年)。 国道235号 室蘭市と日高地方浦河町を結ぶ一般国道。総延長149.4km。室蘭市を起点とし,太平洋岸を日高地方の浦河町に至る。室蘭~苫小牧間は国道36号と重複し,実延長は苫小牧~浦河間114.7km。浦河国道の名もある。日高本線が並走する。明治以前のアイヌの踏分道がこの道路の基盤となった。江戸中期,静内を拠点とするシャクシャインが松前藩兵との戦いに敗れて以後,和人の直接支配力が日高地方に及び,幕府の直轄以降,漁場開発,東北からの馬匹の浦河への導入などで,勇払(ゆうふつ)(現在苫小牧市)との間の交通が盛んとなった。また浦河以東へは襟裳(えりも)を通じて十勝地方との間に道路も開削された。戦後は自動車交通の発達に伴い,道央と道東を結ぶ重要路線として昭和28年国道に昇格,道路改修・全面舗装が進んだ。緑の牧場地帯を縫う産業路線,襟裳岬を中心とする日高山脈襟裳国定公園への観光路線として,車の往来が盛んで,12時間当たりの路線平均交通量6,564台(昭和60年)。 国道236号 帯広市と日高地方浦河町を結ぶ一般国道。不通区間を除く実延長126.7km。帯広市から十勝地方の中札内村・忠類(ちゆうるい)村・大樹(たいき)町・広尾町と南下し,広尾町豊似から日高山脈を横断して南西に進み,日高本線浦河駅近くに至る。途中,日高山脈の山頂部付近12.2kmは不通。帯広市内の札内川には長さ398mの南帯橋が架かる。12時間当たりの路線平均交通量3,303台(昭和60年)。 国道237号 旭川市と日高地方浦河町を結ぶ一般国道。2市11町1村を結び総延長260.0km,実延長161.3km。国道12号終点の旭川市4条通り1丁目を起点に南に延び,まず東方に大雪連峰を望みつつ美瑛(びえい)町・上富良野町・中富良野町を経て,北海ヘソ祭りやアルペンスキーのワールドカップ開催地の富良野市に至る。同市で空知川沿いに延びる国道38号と合流し,市南部まで18.4kmは重複。国道38号から南下し,空知川に架かる下金山橋を渡り南富良野町へ入り,日高山脈の縦谷をたどって金山トンネル(456m)を通過して占冠(しむかつぷ)村に至る。鵡川(むかわ)の支流沿いに日高峠を越えて沙流(さる)川上流の山間盆地,日高町に達する。竜門橋を経て平取(びらとり)町・門別町を通って浦河町に至る(門別~浦河間80.3kmは国道235号と重複)。以後,国道236号(帯広市・浦河町)と接続する。苫小牧方面からの初期の道路は明治26年沙流太(さるぶと)(現在の富川),同30年には浦河まで開通した。明治20年代に南富良野町一帯で砂金採取が盛んになり,駄馬の通れる程度の初期道路は順次開削された。北からは明治31年旭川~下富良野(富良野市)間,同32年下富良野~下金山間,同43年下金山~占冠間,同45年占冠~右左府(うしやつぷ)(日高町)間,大正2年右左府~岩知志(いわちし)(平取町)間。また南方から明治32年沙流太~平取間,同42年平取~仁世宇(にせう)(平取町)間,同43年仁世宇~岩知志間が開通し,大正2年には国道237号の原形が生まれ,大正9年準地方費道浦河旭川線となった。第2期拓殖計画により,右左府~竜門橋間の旧沙流川左岸道路に代わり,昭和7年現右岸道路が完成し,バス運行が可能になった。昭和13年地方費道へ昇格,同28年道路法の改正により2級国道237号,同40年一般国道237号となった。昭和46年の金山トンネルの完成により現在の姿になった。舗装率98.1%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量4,076台(昭和60年度)。 国道238号 網走市と稚内(わつかない)市を結ぶ一般国道。総延長323.4km,実延長320.8km。オホーツク国道・宗谷国道などの通称がある。網走地方と宗谷地方とを,オホーツク海岸沿いにつなぐ道内最長の国道で,網走市を起点とし,網走湖・能取(のとろ)湖・サロマ湖畔を経て紋別市を抜け,雄武(おうむ)町から宗谷地方に入り,枝幸(えさし)町・浜頓別町を経て,宗谷岬を回って稚内市に達する。この道筋は江戸期から利用されたアイヌの踏分道に始まり,途中の枝幸~浜頓別間の斜内山道のほかは平滑な浜辺が続き障害が少なく,沿岸は日本海岸の延長として西蝦夷地といわれた。中間の雄武~枝幸間と最北の宗谷岬周辺のほかは,天北線・名寄本線が並走する。この道路は大半が過疎地帯を通るが,ホタテ貝・スケソウダラ・酪農などの特産品輸送が多く,運行回数の少ない鉄道よりも経済性は高い。また東の網走国定公園,北の北オホーツク道立自然公園,最北端の宗谷岬などの観光地をも結ぶ。12時間当たりの路線平均交通量2,835台(昭和60年)。 国道239号 網走市と留萌(るもい)市を結ぶ一般国道。網走市~網走地方興部(おこつぺ)町間,名寄市~士別市間,留萌地方苫前(とままえ)町~留萌市間は,それぞれ国道の238号・40号・232号と重複。重複区間を除く実延長149.6km。北海道北部をほぼ東西に横断し,興部~名寄間はほぼ名寄本線に並走,士別~苫前間は天塩山地を越えて西進する。士別市と空知地方幌加内町の境界には道路標高262mの士別峠がある。道路舗装率92.6%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量1,161台(同60年)。 国道240号 釧路市と網走市を結ぶ一般国道。総延長149.7km,実延長118km。網走地方美幌(びほろ)町から網走市までは国道39号と重複。道東部を南北に貫き,釧路側ではまりも国道,網走側では釧北(せんぼく)国道と呼ばれる。釧路市大楽毛(おたのしけ)から阿寒川沿いにほぼ北上する。文化4年には阿寒山道が開削されたというが,阿寒町の「徹別以上八里ノ道ハ辛ウジテ人馬ノ交通ヲナシ得ル唯一ノ細道ニスギナイ」(阿寒町史)状態であった。特に阿寒湖畔に至るルートは現在はピリカネップから雄阿寒温泉まで阿寒川沿いに通じるが,当時は七曲といわれる難所を経て,フレベツ岳(1,097m)の山麓西側を通った。大正9年に地方費道路となった際には阿寒町の飽別(あくべつ)地区ルベシベが終点とされ,このルベシベのほか,舌辛(したから)・飽別・湖畔に駅逓が設置された。大正13年には新たな道路が湖畔まで開削され,同14年には釧北峠を経て北見相生まで開通,同時にトラック輸送が行われた。一方,美幌方面からは仮定県道網走陸別間道路の工事が明治35年に着手され,同42年に駅逓所でもあった津別町本岐(ほんき)地区からの分岐工事が始まり,網走川上流沿いに大正13年には原生林を縫って釧北峠に達した。この道路の整備により,阿寒湖への行楽客が増加し,美幌側からは北見相生から湖畔の間に定期路線が開設された。また釧路から雄別炭鉱線で舌辛駅に至り,そこから定期バスで湖畔へ向かった。昭和30年に2級国道となり改良工事が進んだ。この路線の開通により阿寒湖の観光地化,沿線の林業開発に大きな役割を果たした。現在では釧路市と網走地方を結ぶ産業道路としての性格も強く,農産物,農業資材のほか,水産物の輸送動脈ともなっており,12時間当たりの路線平均交通量2,687台(昭和60年)。 国道241号 釧路地方弟子屈(てしかが)町と帯広市を結ぶ一般国道。釧路地方阿寒町の阿寒湖畔南岸で国道240号と重複。実延長149km。道東を釧路地方から十勝地方へ西に進み,十勝地方上士幌町からは南下し,帯広市に至る。阿寒国立公園南部を横断し,沿道には阿寒湖・雄阿寒岳・雌阿寒岳の他,雄阿寒温泉・雌阿寒温泉などの観光地が位置し,弟子屈~雄阿寒温泉間は阿寒横断道路ともいう。12時間当たりの路線平均交通量1,865台(昭和60年)。 国道242号 網走市と帯広市を結ぶ一般国道。重複部分を除く実延長185.2km。網走市を起点とし,オホーツク海沿岸を湧別川下流まで進み,上湧別町(以上は国道238号と重複)から湧別川沿いに内陸に向かい,遠軽(えんがる)町を経て生田原(いくたはら)町から常呂(ところ)川流域に出,留辺蘂(るべしべ)町・置戸(おけと)町を経て十勝地方に入る。十勝川の大支流利別川沿いに下り,陸別・足寄(あしよろ)・本別・池田の各町を通り,十勝川を横断して幕別町で国道38号に合流し帯広市に達する。非重複部分は置戸国道・陸別国道ともいう。おおむね鉄道4路線と並行する。江戸期からのオホーツク海沿岸の踏分道,明治中期の囚人労役で開削された旭川~網走間の北見道路,明治末期に十勝・網走両地方を分水嶺越えで結んだ道路はすべて網走市に結合したが,この道路は各道路を網走地方中央部で連絡し直したもの。中間の足寄町小利別は山間にあり,冬季の気温が零下30℃に下る北海道の寒極として知られる。また道内の中核的山林地帯を横断しており,林業の振興に貢献している。12時間当たりの路線平均交通量2,535台(昭和60年)。 国道243号 網走市と根室市を結ぶ一般国道。網走市~網走地方美幌(びほろ)町間の国道39号との重複および根室市内の国道44号との重複部分を除く実延長140.8km。網走から美幌峠を経て釧路地方に入り,阿寒国立公園東半をなす弟子屈(てしかが)町の,屈斜路(くつしやろ)湖畔・弟子屈温泉を通り,根釧(こんせん)台地に出る。標茶(しべちや)町北部から根室地方の別海町を横断,根室市厚床から国道44号に合する。戦後,本格化した阿寒国立公園の観光と根釧台地の農業開発(酪農)を主眼とする道路で,昭和9年阿寒国立公園は大雪山国立公園とともに道内最初の国立公園に指定されたが,入植農家のための道路があるのみだった。戦後の自動車交通時代に入ると,この道筋は道東地域の開発・観光の中核として重視され,昭和28年国道243号に指定,改修・舗装が進み,同50年にほぼ整備された。沿道の国立公園内には眺望に優れる美幌峠,屈斜路湖畔の和琴温泉などがあり,弟子屈温泉は観光基地となっている。また根室の風蓮湖一帯はハクチョウなど野鳥飛来地として知られ,根室観光の中枢をなしている。12時間当たりの路線平均交通量1,915台(昭和60年)。 国道244号 網走市と根室市を結ぶ一般国道。実延長143.5km。網走市から釧網本線にほぼ沿ってオホーツク海沿岸の網走地方を小清水町・斜里町と東進,そこから知床半島の最基部を横断した後,根室地方の標津(しべつ)町・別海町を根室海峡沿いに南下し,風蓮湖の西で国道243号と合して根室市に至る。斜里町と標津町の境界で,道路標高487mの根北(こんぽく)峠を越える。12時間当たりの路線平均交通量1,865台(昭和60年)。 国道272号 釧路市から根室地方標津(しべつ)町に至る一般国道。実延長99.6km。明治初期から釧路~根室間の連絡は海路か,釧路川を遡り標茶(しべちや)から標津に達するルートがあったが,この路線は釧路~標津間の短絡路線となった。根釧(こんせん)台地を北東から南西方向にほぼ縦断し,釧標(せんひよう)国道とも呼ばれる。起点の標津から標津川沿いに中標津に至り,途中別海町で国道243号と交差し,さらに矢臼別演習場の北西部を横切り中茶安別に達する。この中茶安別は主要道道厚岸(あつけし)標茶線の中間点に当たり,昭和7~20年に駅逓が設置されていた。厚岸標茶線は明治21年に釧路集治監の受刑者により厚岸町の太田兵村との連絡路として開削されたもの。なお,国道272号は中茶安別からさらに南下し,国道44号との分岐点,別保に達する。この路線は昭和33年に着工,同46年に開通し,当初は根釧開発幹線と呼ばれ,昭和43年には道道釧路中標津線となり,翌年には一般国道に昇格し,区間も標津まで延長され,同54年には舗装が完了した。この道路は根室地方の農水産物の輸送動脈としての役割および観光ルートとしても利用され,釧路経済圏の根室地方への拡大にも寄与した。12時間当たりの路線平均交通量2,386台(昭和60年)。 国道273号 帯広市と紋別市を結ぶ一般国道。総延長179.2km,実延長171.5km。十勝地方と網走地方北部とを大雪山の東部を経て結ぶ。帯広市を起点とし,音更(おとふけ)川沿いに北の上士幌町までは国道241号と重複,ここから人造湖糠平(ぬかびら)湖畔を経て三国峠で上川地方に入り,石狩川上流の人造湖大雪湖畔で国道39号と合流,さらに上川町市街近くでこれと分かれ,浮島峠を越えて網走地方に入り,渚滑(しよこつ)川沿いに下って紋別市に達する。音更川流域・石狩川上流域・渚滑川流域に別々に入植開発された道を基に,戦後,大雪山・北見山地を新たに開削して,昭和40年代に開通,その後も各所で舗装が進行中である。地域により糠平国道・上川国道・渚滑国道の別称がある。この道路の中央部は大雪山国立公園を通過,南入口に糠平温泉,北入口に層雲峡温泉があり,中間の三国峠のトンネル(標高1,139m)は道内の国道中の最高所で,付近から十勝平野を一望できるすぐれた観光コースである。また北部の浮島峠は曲折の多い難路で,ここを短絡する浮島トンネルが昭和59年に完成した。これは延長3,285m,道内の国道中最長のトンネル。この道路は観光開発を中心に,過疎の山間地帯の振興を目標とするが,高い山地を通過するため,峠地域では冬季の交通は積雪で途絶する。12時間当たりの路線平均交通量965台(昭和60年)。 国道274号 札幌市と帯広市を結ぶ一般国道。総延長178.5km,実延長158.7km。札幌市を起点とし,夕張市,日高地方北端の日高町などを経て,十勝地方の中心都市帯広に短絡する。途中の夕張~日高間は東半部が未開通で,開通区間の延長は136.4km(昭和57年末)。十勝地方の清水町~帯広間は国道38号と重複。明治年間,この区間の各地に入植をみて,札幌―北広島市―長沼町の間,由仁(ゆに)町~夕張市間,日高町,十勝地方などに地方的な道路が開かれた。これが一本にまとめられるのは戦後で,北海道総合開発計画に基づき,道央と道東の主要拠点都市を短絡し,経済・観光開発の基盤を整備する開発道路として発足した。既存道路の整備改修とともに,長沼町南部泥炭地域,日勝道路など,不通区間の開削が始まり,特に日高町~清水町間の日勝道路は,日高山脈を横断して昭和40年開通した。昭和45年に国道274号として昇格し,夕張~日高間の夕張山地の無人の山や渓谷を横断して,今も道路開削が継続する。これと並行的に,千歳空港~新得町(十勝地方)間に鉄道建設が進行,道路より早く昭和56年に国鉄石勝線として開通し,札幌と道東地方を結ぶ新幹線的な役割を果たしており,国道274号の全面開通時には,道央と道東を結ぶ主要幹線道路になることが十分に予測される。12時間当たりの路線平均交通量6,198台(昭和60年)。 国道275号 札幌市と宗谷地方浜頓別町を結ぶ一般国道。上川地方の美深(びふか)町~音威子府(おといねつぷ)村間は国道40号と重複。実延長283.4km。札幌市から札沼線に一部沿って空知地方の新十津川町まで進み,さらに北上して深川市からは深名線にほぼ沿って美深町に至る。音威子府村からは天北線と並走して浜頓別町に達する。途中,札幌市の雁来大橋(638m)で豊平川,江別市の新石狩大橋(918m)で石狩川,美深町の美深橋(338m)で天塩川を渡り,空知地方幌加内町から美深町へは道路標高445mの美深峠を通る。道路舗装率88.2%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量3,628台(同60年)。 国道276号 後志(しりべし)地方倶知安(くつちやん)町と苫小牧市を結ぶ一般国道。実延長99.5km。倶知安町を起点とし,羊蹄(ようてい)山東麓の京極町・喜茂別(きもべつ)町を経て胆振(いぶり)に入り,大滝村から千歳市域の支笏(しこつ)湖南岸を通り苫小牧市に達する。倶知安盆地開拓の基線に発し,明治後期に尻別川流域上流の京極・喜茂別の開拓で延長された。明治から大正にかけて京極の脇方や大滝に鉄鉱山が開発されると,これと室蘭製鋼所を結んで,後の国鉄胆振線が昭和16年開通し,喜茂別~大滝間も道路で結ばれた(尻別国道)。東部では苫小牧から樽前山東麓を経て支笏湖に達する樽前国道が,昭和8年開鉱の千歳鉱山(金・銀)に向けて延び,同33年千歳鉱山~大滝村間に美笛峠を越えて開発道路(支笏国道)が開通し,羊蹄山麓農業地域と苫小牧工業地域は直結した。この道路は支笏洞爺国立公園を横断し,支笏湖と洞爺湖を内陸部で結ぶ観光開発の役割も持っており,昭和45年国道に昇格した。12時間当たりの路線平均交通量1,963台(昭和60年)。 国道277号 檜山地方江差町と渡島(おしま)地方八雲町を結ぶ一般国道。江差町~檜山地方熊石町間は国道229号と重複。実延長33.8km。渡島半島を西から東に横断して八雲町に至る。12時間当たりの路線平均交通量882台(昭和60年)。 国道278号 函館市と渡島(おしま)地方森町を結ぶ一般国道。実延長114.7km。恵山(えさん)付近を除いて亀田半島の海岸線沿いに渡島地方の戸井町・椴法華(とどほつけ)村・南茅部町・砂原(さわら)町などを経て森町に至る。付近には大沼国定公園・恵山道立自然公園が位置する。戸井町と恵山町の境には延長815mの日浦トンネル(昭和47年完成),椴法華村には延長1,437mの銚子トンネル(同49年完成)がある。道路舗装率91.7%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量3,024台(同60年)。 国道279号 函館市と青森県上北郡野辺地(のへじ)町を結ぶ一般国道。道内実延長1.8km,青森県内実延長112.25km。函館市海上35kmの青森県下北郡大間町に至り,下北半島を南下して野辺地町に至る。函館~大間町間には昭和39年からフェリーボートが就航し,約100分で結ぶ。函館市内1.8kmの12時間当たりの路線平均交通量1万2,996台(昭和60年)。 国道280号 青森県青森市と函館市を結ぶ一般国道。道内実延長0,青森県内実延長71.96km。青森市から陸奥湾沿いに北上した後,津軽海峡沿いに東津軽郡三厩(みんまや)村竜飛に至る。道内では渡島(おしま)地方の福島町・木古内(きこない)町を国道228号と重複して函館市に達する。 国道333号 旭川市から網走地方端野(たんの)町に至る一般国道。2市9町1村を結び総延長179km,実延長112km。旭川市4条昭和通を起点に石狩川上流に向かい,当麻町から比布(ぴつぷ)大橋を経て愛別町,次いで上川市街(上川町)へ入る(旭川~上川間47kmは国道39号,上川~上越間17kmは国道273号と重複)。北見峠を越え網走地方に入り,湧別川沿いに白滝村・丸瀬布(まるせつぷ)町を経て遠軽(えんがる)町の市街南方4kmの豊里地区で路線の最北点に達する。同所から東南東の生田原(いくたはら)町字安国まで3kmは国道242号と重複。その後,北見山地東部丘陵を東行,旭トンネルを通過して佐呂間町の栄・若佐・中園などの集落を経て,北見市仁頃川渓流沖積地の仁倉に至り,端野峠を越え端野町北部で国道39号と合流し終点となる。この路線の旭川~栄間は以前の北見道路で,昭和27年1級国道39号に指定,同32年石北峠越えの大雪国道の開通に伴い,この路線が39号に変更された。昭和45年上越~上川間は国道273号に指定され,同50年安国~栄間は国道333号,同51年栄~若佐間は主要道道留辺蘂(るべしべ)佐呂間線に編入された。佐呂間町と北見市の境界付近は標高500~600mの山地で,大正年間まで中園~端野間は現国道に沿って半間~1間余の刈分け道が通じていた。しかし大正期~昭和期の鉄道の発達で道路は荒廃し,昭和29年測図5万分の1図では,中園以東の山地道路は完全に抹消された。昭和44年若佐~端野間が道道北見端野線として開通,同50年国道333号に昇格編入された。舗装率84.5%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量は1,657台(同60年)。 国道334号 根室地方羅臼町と網走地方斜里町を結ぶ一般国道。実延長68.1km。知床半島中央部をほぼ東西に横断した後,オホーツク海沿いに斜里町に至る。知床半島脊梁部は羅臼岳の南西方に位置する知床峠(道路標高738m)で越え,同所は羅臼・斜里両町の境界ともなっている。知床半島横断部分は知床横断道路ともいう。12時間当たりの路線平均交通量1,472台(昭和60年)。 国道335号 根室地方の標津(しべつ)町と羅臼町を結ぶ一般国道。実延長43.9km。根室海峡沿いに知床半島中央部の羅臼町に至る。12時間当たりの路線平均交通量2,305台(昭和60年)。 国道336号 日高地方浦河町と釧路市を結ぶ一般国道。十勝地方浦幌町以東は国道38号と重複。実延長149.6km。浦河町から海岸線に沿って南東に進み,日高地方えりも町で内陸部に入り,豊似岳南麓を東進して同町庶野に出る。再び海岸線を十勝地方広尾町まで北上したのち,十勝地方の大樹(たいき)町・豊頃町などを通り浦幌町に至る。うち広尾町~えりも町庶野間は昭和9年に開通したが,難工事で工事費がかさんだことから,黄金道路と称される。大樹町では昭和47年に完成した長さ554mの歴舟橋で歴舟川を渡る。道路舗装率83.8%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量1,628台(同60年)。 国道337号 千歳市と小樽市を結ぶ一般国道。空知地方長沼町で国道274号,江別市で国道12号,江別市~石狩地方当別町間で国道275号と重複。実延長78.8km。石狩地方・空知地方を北西に石狩市まで進み,石狩湾にほぼ沿うかたちで小樽市に至る。12時間当たりの路線平均交通量3,690台(昭和60年)。 国道338号 函館市と青森県上北郡下田町を結ぶ一般国道。道内実延長0,青森県内実延長213.129km。函館市から下北郡大間町に至り,下北半島西岸を津軽海峡沿いに南下した後,陸奥湾沿いに東進して太平洋岸に出て南下を続け,下田町に至る。函館~大間間には昭和39年からフェリーボートが就航,両地を約100分で結ぶ。 国道391号 釧路市と網走市を結ぶ一般国道。実延長116.4km。釧路市を起点に釧路川左岸沿いに釧路町・標茶(しべちや)町・弟子屈(てしかが)町を経由,釧網(せんもう)本線とほぼ並行に弟子屈町川湯温泉に達する。ここから鉄道と離れ,野上峠を越えて網走地方の小清水町に入り,オホーツク海岸の浜小清水で再び鉄道に並走し,海岸沿いに網走市に至る。この道路の起源は,網走地方ではアイヌの狩猟の踏分道に始まり,大正年間の藻琴(もこと)山麓開拓で道が開けた。釧路地方では江戸期以来,釧路川が主な通路であったが,明治18年標茶町に釧路集治監が設けられてから,囚人労役により釧路―標茶―川湯間に道路が開削された。標茶~釧路間は釧路湿原の縁を通るため開拓が遅れ,明治末期以降,集治監の廃止も手伝って利用が少なく,昭和初期の釧網本線の開通後は鉄道が主体となった。戦後,阿寒国立公園の摩周湖・屈斜路(くつしやろ)湖の自然美,川湯や弟子屈の温泉,オホーツク海岸浜清水の原生花園,塘路(とうろ)湖周辺の釧路湿原などを結ぶ観光路線として国道に昇格,道路の改修・舗装が進められ,国鉄を上回る利用量となっており,12時間当たりの路線平均交通量は2,274台(昭和60年)。 国道392号 釧路市大楽毛(おたのしけ)から十勝地方本別町に至る一般国道。実延長67.1km。昭和57年に国道に昇格し,白糠市街地から茶路川に沿って北西の上流部に進み,その支流タクタクベオベツ川から釧勝(せんしよう)峠を経て,十勝側の浦幌川沿いに南西に向かい貴老路(きろろ)を通過して本別に至る。白糠町二股からは道道標茶(しべちや)上茶路線が分岐する。明治34年には白糠~茶路間8kmが,同36年に鍛高(たんたか)までの13.4km,明治45年には上茶路までが開通し,前年には駅逓(昭和7年廃止)が設置された。大正10年には北進まで開削され,同15年には茶路二股に駅逓が開設(昭和16年廃止)された。石炭と森林資源開発を企図した道路で,白糠~足寄(あしよろ)間の鉄道(釧勝線)も計画された。昭和29年には道道,同39年には主要道道となったが,同時に国鉄白糠線が開業したことから,その重要性は相対的に低下した。白糠線が昭和58年に全国初の廃止路線となったことから,この路線は代替バス輸送路となった。現在冬期間は十勝側への通行は積雪のため不能となる。なお,十勝へ通ずる路線としては大正9年の地形図では茶路川の支流ルウクシェチャロ川からウタコキヌプリ山(745m)の北を通って足寄川の支流稲牛川から中足寄に出る小道がみえる。12時間当たりの路線平均交通量734台(昭和60年)。 国道393号 小樽市と後志(しりべし)地方倶知安(くつちやん)町を結ぶ一般国道。実延長51.7km。小樽市から後志地方赤井川村を経て倶知安町に南下するが,赤井川村・倶知安町の,本倶登(ぽんくと)山の稜線付近6.8kmは不通区間となっている。道路舗装率73%(昭和61年),12時間当たりの路線平均交通量684台(同60年)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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