100辞書・辞典一括検索

JLogos

40

戸井場所
【といばしょ】


(近世)江戸期の場所名。はじめ東蝦夷地のうち。箱館六ケ場所の1つ。寛政12年村並となったが場所名は存続。南は津軽海峡に面し,区域は東がシリキシナイ場所境の日浦岬,西がオヤス場所境の戸井川にわたる。場所の開設年代は明らかでないが,元文年間~天明年間と思われる。はじめ松前藩領。初期の知行主は不明,元文4年の頃には藩士佐藤加茂左衛門(蝦夷商賈聞書),天明年間~寛政年間には春漁のみ佐藤権左衛門(松前随商録・北藩風土記)の知行であった。その後,寛政11年幕府領,文政4年再び松前藩領,安政2年からは再び幕府領となる。元禄13年「松前島郷帳」に場所内の「はらき」の名が見えるが,「トイ場所」の記載はない。元文4年の「蝦夷商賈聞書」に「トエト申地佐藤加茂左衛門殿御預リ,箱館ト申所之人間共運上ニ申請支配仕」とあり,天明6年の「蝦夷草紙」に「トイ場所」の名が見えることから,当場所は元文年間までには成立したと思われる。場所成立当初の知行主は佐藤加茂左衛門で,箱館の商人が請負人となっていた。その領域は,カワシリ・ヲカベマ・ト井・クマベツ・ムイノシマ・カマウタ・ハラキ・カネガシタであった(松前随商録)。天明年間~寛政年間の知行主は春漁のみ佐藤権左衛門で,場所請負人は松前の作右衛門代の嘉七であった(蝦夷草紙)。場所成立当初の運上金は不明であるが,天明年間は35~40両(松前随商録・蝦夷草紙),寛政12年の役金45両。村割として35両・豊凶10両で,8月に8分,11月に2分の納入であった(初航蝦夷日誌)。寛政12年村並化に伴い,場所請負制を廃止して村役人を置き,諸役を課したが,それ以降も戸井場所と称した。「天保郷帳」に箱館付場所の1つとして「戸井」が見え,戸井持場として鎌哥・原木の地名が見える。その後,安政2年には25両と四半鋪役として銭1貫750文(松前箱館雑記),慶応年間には四半所役外2口という名目で25両3分であった(函館市在并東西蝦夷地上納等)。産物として春に布海苔,夏に赤昆布・黒昆布,秋に鮫・鰤・鮭を産出したほか,魚油があり,それは百姓とアイヌが入り込んだ漁であった(松前国道中記)。初期の戸口は不明であるが,文化6年22軒・83人(松前三ケ所附東西村調),同8年は21軒・70人(吹塵録),天保12年は33軒・126人(箱館町々戸口其他),慶応年間は359人(函館布在并東西蝦夷地上納等)と次第に増加していった。安政5年正式に村となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7005367