徳田
【とくだ】
(近代)昭和14年~現在の行政字名。はじめ名寄町,昭和31年からは名寄市の行政字。もとは名寄町の一部。地名は,地内開拓最大の功労者である徳田宇太郎の姓にちなむ(八十年を歩んで徳田区)。旧行政区は南区。開拓は徳田宇太郎の率いた富山県からの移民団が入植したのに始まる。宇太郎は水田の試作,当地初の名寄土功組合の設立などを行う(名寄町誌)。昭和18年国費排水工事が着工され,同32年暗渠事業が行われ,泥炭地の土地改良事業が促進された。同35年天塩川製紙名寄工場設立。同43年徳田区暗渠排水事業,同48年徳田工業団地の造成が開始され,農工併在の住宅地として発展(名寄市史)。世帯数は昭和20年50,同55年260を超える。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7005554 |