トラピスト修道院
【とらぴすとしゅうどういん】

渡島(おしま)地方上磯町字三ツ石にあるカトリックの男子修道院。正式名称は厳律シトー会灯台の聖母トラピスト修道院本部。「灯台」の名称は近くの葛登支灯台にちなむ。トラピストとは厳律シトー会の修道者の総称。シトー会は聖ロベルト(1111年没)によってフランスのディジョン付近のシトーで創立された修道会。「祈れ,働け」を主旨とし聖ベネディクト(547年没)の戒律を遵守する。明治29年函館司教区長ベルリオーズの招きで渡島当別に仮修道院を建設。翌30年フランスのノルマンジーのブリックベックにある恩寵の聖母トラピスト修道院からジェラルド・プーリエが修道院長として来日し,トラピスト修道院の基礎を築いた。彼は後に帰化して岡田普理衛となる。ベルリオーズ司教がトラピスト修道院を招致したのは修道院の周辺にアイヌを住まわせ教化したいこと,キリスト教の布教を強化するために神の恩恵を祈り求めること,修道生活の模範によって人々に感化を及ぼすことにあった。明治31年孤児のためのトラピスト学園,同33年私立野上小学校をそれぞれ設立したが,昭和5年までに使命をおえて閉鎖。修道院付近の移住者と農家は,函館教会の宣教によって入信,修道院が費用の大半を負担し大正2年から教会堂建設に着工,2年余かけて完成。この当別教会は,信徒だけからなる小村を形成,昭和7年に函館に移管され,現在札幌教区に所属。また大正15年3月に福岡県京都郡祓郷村(現豊津村)に九州分院を設立したが,昭和19年7月に閉鎖。現在のれんが造りの本館は明治36年に焼失した木造の本館に代わって建造されたもので,明治41年に完成。トラピスト修道院は,「沈黙」を特長とし,オランダから購入したホルスタイン種乳牛の繁殖による子分法で付近の農家に子牛を譲り,農耕牧畜に力を入れ,酪農を奨励,牛乳を修道院で買い取ってバターを製造,北海道の開拓と酪農の振興に寄与した。修道院で製造したバターはトラピストバターとして明治40年以降市販されており,純粋バターを用いたクッキーとバター飴も市販され,北海道特産の1つとして有名。詩人三木露風は大正9~13年までトラピスト修道院の講師として滞在,その間に当別の秋の夕暮れを歌ったのが「赤とんぼ」で,昭和2年に山田耕筰が作曲した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7005882 |