萩野
【はぎの】
(近代)昭和14年~現在の行政字名。はじめ白老村,昭和29年からは白老町の行政字。もとは白老村大字敷生(しきふ)村の一部,トンケシ・シリトコ・知床・シントコ・シビリトンカ・シヒカトンカ・前浜・コタン・ホロフルニ・タップコップ・ボロフルニ・フシコベツ・メップ・ホルフ山・シレト・トビウブト・タプコップ・タツコッブ・敷生・トロマップ・フシコベツブト・トウベツ・トビウ・トーベツ川上・モシキウ。古くは知床と呼ばれた地域。地名の由来は,明治14年明治天皇巡幸の際,萩が咲く遺跡があったためという。明治中期加藤六三郎,平山弥一郎,上山仙之助などが移住。昭和14年萩野郵便局開局。同20年勤労奉仕によって陸軍飛行場完成。同21年地元引揚者・帰農者10戸が萩野開拓地に入植,同25年萩野開拓農協結成。昭和22年の世帯数287・人口1,461。同26年の産業別依存人口は農業286・林業132・漁業605・建設業25・製造業75・商業136・金融保険業6・運輸通信業157・サービス業27・公務10・その他26。耕地面積は稲作13町余・畑作76町余(ムギ類1反・マメ類19町余・雑穀16町余・バレイショ12町余・蔬菜15町余・飼料10町余・その他2町)。同29年萩野中学校開校。同35年萩野巡査駐在所,同36年萩野診療所開設。同40年大昭和製紙白老工場進出。同年南西一帯が字北吉原となる。同44年町役場萩野出張所設置。同50年の産業別就労者数は農業9・林業12・漁業15・鉱業3・建設業220・製造業508・商業182・金融保険業16・不動産業6・運輸通信業134・電気ガス水道業3・サービス業144・公務12。昭和48年の区制で当地は大町1~5区,前浜1~3区,昭和区,朝霧区,旭区,瑞穂区の12区に分かれた。区制は同57年廃止。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7006678 |