角川日本地名大辞典 北海道 北海道 23 花石【はないし】 (近代)昭和8年~現在の行政字名。はじめ利別村,昭和22年からは今金町の行政字。もとは利別村の一部,花石。花石は古く珍古辺といい,明治初年の砂金採取者甚五平の名が転訛したものといわれている。当地での砂金採取は近世の寛永年間に始まり,寛文年間に廃絶し,また文化年間に再開されたものと思われる。安政年間箱館奉行所は隣接の現字住吉付近に役所をおいて後志利別川の砂金を採取したが,慶応年間頃廃止。明治2年頃甚五平兄弟ほか,いくつかの集団が砂金採取に従事。同10年若狭の人赤井某によって花石産のメノウが発見された。同13年大島勘左衛門らが花石と美利河(ぴりか)に入り,メノウとマンガンを採掘し,瀬棚港から移出を図ったが失敗。同19年東京の雨宮敬次郎技師が花石と美利河の鉱物探査を行い,花石の砂金鉱区を許可された。同24年雨宮は山形県より30人を団体入植させ,砂金採取に従事させた。砂金採取は明治30年代まで続けられた。明治25年瀬棚~国縫(くんぬい)間の道路開削に着手,同26年徳島県人東条九郎太が工事を請け負い,花石に移住。同年道路は一応開通し,翌27年花石に珍古辺駅逓所が設置され,東条が取扱いを命じられた。同28年大山岩次郎が畑地20町歩の貸付けをうけ,小作人を導入。同32年花石の東条某が初めて札幌よりハロウプラオ機を移入。地内の大曲付近一帯のメノウの採掘は,同35年若狭国遠敷村より職工を傭って製作を試みたが間もなく中止。同37年以降,毎年3,000~6,000貫を採掘し,原石のままで若狭に移出し,若狭メノウとして世に知られた。同年第七利別簡易教育所設置。同40年珍古辺巡査駐在所,河川監守駐在所設置。同41年曹洞宗説教所開設,のち七宝山瑪瑙寺となる。同42年第七利別簡易教育所が第七利別尋常小学校となる。同43年珍古辺郵便局設置。同44年八幡神社を建て,のち金比羅(讃岐)と山の神(愛媛)をあわせて黄金神社と改称。昭和2年第七利別尋常小学校を珍古部尋常高等小学校と改称,同5年花石尋常高等小学校と改称。昭和4年国縫~花石間,翌5年花石~今金間に国鉄瀬棚線開通,昭和4年花石駅開設。同7年花石集乳所設置。同18年美利河・中里の青年学校を花石青年学校に統合。同22年花石小・中学校設置。同31年花石開拓診療所開設。昭和25年の世帯数138・人口776(今金町史)。 KADOKAWA「角川日本地名大辞典」JLogosID : 7006778