角川日本地名大辞典 北海道 北海道 20 花浦【はなうら】 (近代)昭和31年~現在の八雲町の行政字名。もとは八雲町大字八雲村の一部,ブイタウシナイ・鷲の巣・ペトイカリ・古川。字名をつける際当地の湿原一帯に真黄色な花を咲かせるやちぶきの花から山側の地区は花里,浜側の地区は内浦湾の浦から栄浦を希望したため1字ずつをとり花浦と名づけたという(ゆうらふ12・21)。旧地名のブイタウシナイはアイヌ語のプィタウナイ(やちぶきの根をいつも掘る沢の意)による(ゆうらふ12・改訂八雲町史)。明治30年福岡県久留米の井上岩記,福島県安積郡の川口誠夫ら4人により開拓が始められ,北海道久留米植民組合農場(通称久留米農場)を開設し,翌31年福島県から小作人22戸・60余名が入植。同32年同農場事務所内に久留米簡易教育所開設。同32年札幌の本田正昇が農場隣接地(のちの西田牧場)の貸付けを受けて入地する。同37年久留米農場は,小作人76戸。同42年神奈川県岡田正三の岡田農場となる。大正5年益岡牧場と改称。のち昭和16年八木農場となる。昭和15年ブイタウシナイ・ブイタウシナイ山の各部落会成立。同16年八木農場で小作争議が起こる。同20年西田牧場は小作耕作者6人に分譲され閉鎖。同22~25年八木農場でも37戸の自作農が創設。同26年八木農協設立。亀田町のじん介処理場の堆積発酵腐熟じん介を輸送してきて畑地への転換を図る。同35年山崎・花浦地区開発対策期成会が組織され,同39年太平洋汽船により太平洋牧場・太平洋農場が設立。同40年久留米小学校は八雲小学校に統合。同43年八雲チップ工場建設。世帯数・人口は,昭和33年120・667,同45年83・411,同50年73・334,同55年73・314。 KADOKAWA「角川日本地名大辞典」JLogosID : 7006781