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本願寺道路
【ほんがんじどうろ】


胆振(いぶり)・後志(しりべし)・石狩の3地方を結んだ道路。明治初期に真宗東本願寺が開削した。明治2年,東本願寺門跡大谷光勝が北海道開拓の主旨を奉じ,北海道新道の開削を太政官に出願,許可を得て同4年7月,内浦湾岸の当時の拠点有珠(うす)(現伊達市有珠町)に近いオサルベツ(現同市長和町)から,札幌に向かって着工した。その経路は長流(おさる)川沿いに壮瞥(そうべつ)町から洞爺湖畔に出,湖北の洞爺村から貫気別(ぬつきべつ)川沿いに留寿都(るすつ)村を経て,尻別川沿いの喜茂別(きもべつ)町から中山峠に向かい,同峠から札幌市の豊平川上流に出る。豊平川河谷を薄別・定山渓・簾舞(みすまい)と下り,平岸村(現札幌市豊平区平岸)の南端に終る。里程26里10町5間,その間に橋梁113か所,渓谷での横板敷設17か所を数え,同年10月に竣工した(札幌沿革史)。工事期間に新門跡大谷光瑩一行が来道し,新道開設を視察督励している。この新道をはじめ,北海道各地の開発に東本願寺が尽力した理由は,幕末に薩長派の西本願寺に対して佐幕派とみられ,明治政府による東本願寺抑圧を回避するためという。これらの努力が実り,札幌の南7条西6丁目に勅賜東本願寺管刹地所を与えられ,札幌別院が創建された。この道路は函館~札幌間の最短経路で,道路未発達の当時は主要コースであったが,その期間は短く,明治6年開拓使が雇外人の献策を納れて,その東方に室蘭―千歳―札幌豊平を結ぶ札幌本道(現国道36号)を完成した。札幌本道は回り道ながら起伏が緩く,冬期も雪の少ない地を通っており,本願寺道路は交通の利便の上で劣った。しかしこの道路の開設は,沿道の洞爺村・留寿都村・喜茂別町など,羊蹄(ようてい)山南麓の開拓,豊平川河谷の定山渓温泉の発展に寄与し,現在は北端と南端など一部を除き国道230号となっている。このルートは代表的レクリエーション地帯を通る観光コースとなっている。中山峠には古い本願寺道路の一部が保存され,札幌市簾舞には通行屋跡などがあり,また平岸南端には本願寺道路終点の石碑も建つ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7008017