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元町
【もとまち】


(近代)明治6年~現在の町名。はじめ函館市中の1町,明治32年函館区,大正11年からは函館市の町名。函館山山麓部の市街地区域の拡張により成立。享和3年箱館奉行所新築,正面坂道(現在の基坂)築造,御殿坂・御役所坂と呼ばれた。万延元年の函館沿革図によると,奉行所の前面は,松林に囲まれ,東側に津軽留守居および松前留守居屋敷がみえるのみである。明治2年旧奉行所に開拓使を開設。明治6年の市街図では,西端に開拓使函館支庁の庁舎が位置し,その東側に官舎が点在,さらに東へ1丁目・2丁目と町並が成立。明治9年の戸数69・人口369,うち寄留264人(管内村町別戸口表)。同12年大火で類焼,同14年上汐見町・下汐見町を編入。同16年の戸数159・人口796(管内村町別戸口表/饒石叢書)。明治6年ロシア人宣教師が伝教学校を開設。翌7年正教学校として普通教育を行った。同11年官立小学校教科伝習所(のちの函館師範学校),同15年メソヂスト系私立遺愛女学校,同19年カトリック系私立聖保禄女学校(現白百合学園),同21年市内仏教寺院共同経営になる私立六和女学校,同22年函館商業学校,同28年函館尋常中学校がそれぞれ開設。明治14年に真宗大谷派本願寺函館別院(通称東別院)が当町に移転,同23年新築落成。明治20年函館区役所が旧開拓使庁舎へ移転。同26年に新改築。同35年区役所は豊川町へ移り,同庁舎は道庁函館支庁として活用,同支庁は,大正11年渡島(おしま)支庁と改称。明治40年大火で支庁舎や寺院・教会などが罹災。同43年区公会堂が落成。大正4年東別院再建。同13年盲唖院新築,昭和12年にヘレン・ケラーが訪問。世帯数・人口は,大正9年366・1,853,昭和10年491・2,491,有業者世帯458うち商業133・公務自由業130・交通業80・工業46・その他(函館市職業別世帯分散状況調査書)。同25年渡島支庁が真砂町に移転。人口動態は昭和20年代の横ばい傾向から同30年代には減少傾向。昭和40年曙町と会所町・相生町・汐見町の各一部を編入し,同40年の世帯数1,265・人口4,577,就業者数1,955うち卸・小売業513,サービス業485,製造業322,その他。同50年は第3次産業就事者が80%を超える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7009000