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ルベシベツ山道
【るべしべつさんどう】


十勝地方広尾町にあった道路。広尾町ルベシベツからピタタヌンケに至る約10kmの山道で,蝦夷地で開削された最初の道路という。この道路は近藤重蔵が寛政10年に国後(くなしり)・択捉(えとろふ)両島から巡察の帰途に開削したものとされ,従者が十勝沖神社に奉納した工事の経緯を記した碑文の再書文とされる「東蝦新道記」には「留辺志別ヨリ水ヲ溯リ,神芟留(カムカルル,ビタタヌンケ川上流)ニ至リ針ヲ按ジ南ノ流ニ沿ヒテ下リ,鐚田奴月(ビタタヌンケ)ニ出ズ登降凡ソ三里」と記される。また近藤重蔵の「山道傍示おぼえ」には「このみちは,はまとまりトモシクシならびにビシナイとうのなんしょありて,わうらいのものなんぎすべきによりて」と開削の事由を述べている。山道はルベシベツ川をさかのぼり,源頭部からほぼ南に標高60~80mの海食崖上の平坦部を通って日高と十勝の境をなすピタタヌンケに至るもので,昭和30年測図以後の地形図には,この山道の南部分が一部記載されているのみ。この開削により「出立新開山道なり。(ル)ベシベツと云山中にて中食」(伊能忠敬:測量日記)という利用もみられたが,多くは山道を通るよりも,磯伝いに波の合間をみて海岸を走り抜けたという。「入北記」にもあるように山道が「路も至て狭く且沢水の流るる中を通行。尤も折々嶮坂ありて,馬行叶はざる処往々なり」ということも海岸が利用された理由と考えられる。「東蝦夷日誌」には「昔し是ビタタヌンケへ雪道有しと云り」とあり,主に春先の堅雪の時に利用されたと推察される。明治24年にはルベシベツ・タニイソ(タンネソ)間に昆布取りの漁民も多くなったため,海岸道路が隧道をつくって開削されたが(広尾町史),本格的な開削は昭和2年からで,完成後は黄金道路と呼ばれ,現在は国道336号として道央と道東を結ぶ産業・観光道路としての役割を果たしている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7009555