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厳島神社
【いつくしまじんじゃ】


八戸市鮫町にある神社。旧村社。祭神は市杵島姫命。陸繋島である蕪島の山頂に所在し,江戸期は蕪島弁天堂と称していた。蕪島はウミネコ繁殖地として国指定天然記念物となっているが,ウミネコは漁群のあるところに集めることから弁天の使いとして大切にされており,漁民の篤い信仰をうけている。「八戸藩勘定所日記」文政9年7月11日条によると,蕪島に石を持って行って積めば神慮に叶い,石を取ってくればそれに背くと昔から言い伝えたといい(八戸市史),蕪島そのものがご神体であったことをうかがわせる。伝承によれば,鮫村の岡村甚太郎の先祖島脇常陸介(工藤祐経の子孫)が永仁4年氏神として祀ったのが最初という。その後宝永3年,八戸藩3代藩主南部通信の母浄生院の祈願によりここに堂宇を新造,弁財天を観請したのが始まりとするが(八戸藩史料),浄生院は元禄5年に死去しており,「八戸藩日記」宝永4年2月13日条に「弁財天開顕相済今日豊山寺御屋敷江本尊持拝」,同書宝永4年9月20日条に「於留井殿鮫弁才天江御参詣」とあることから(八戸市史),願主は通信の側室で4代藩主広信の母(法号実相院,宝永6年没)と思われる。別当は本寿寺(八戸藩史料)。享保10年3月かねてから本寿寺から出されていた当社建立願いが藩に許可され(八戸藩御用人所日記/八戸市史),「八戸藩日記」安永9年8月24日条によれば,天明元年にも再建されている(八戸市史)。当社では藩命によりまたは本寿寺が自発的に雨乞・日和乞・風神祭・雪乞・漁乞などの祈祷を行っており,寛政2年2月には他の5寺社とともに毎年正月中国家安全・五穀豊饒・漁乞の祈祷を行うよう藩から命じられ,その際20貫分の祈祷料が供えられている(八戸藩日記/八戸市史)。明治維新の神仏分離で弁財天が対岸の浮木寺に引き取られ,現社名に改められた。祭礼(蕪島まつり)は旧暦3月3日であったが,数年前から4月第3日曜日に変更になり,当日は参詣や潮干狩の人でにぎわう。江戸期には5月の巳の日にも行われていた(御家扶所日記明治4年5月15日条/八戸市史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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