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内町
【うちまち】


旧国名:陸奥

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋に南接して東西にのびる武家町で,市ノ町とともに陣屋の大門が構えられている(鳥城志)。享保年間の黒石府家之図に「士家 御門内十八軒」と見える。幕末から明治にかけての私塾として,当町には,天内小一郎による漢学を中心とする天内塾,吉村真による皇漢学の吉村塾,同じく加藤新による加藤塾が開かれている。明治初年~明治22年は黒石を冠称する場合もあった。明治初年の「国誌」によれば,町の規模は東の陣屋大手前から西の大工前まで長さ136間・幅3間4尺5寸,戸数は貴属屋敷33。明治6年黒石陣屋内の信載義塾を校舎として第7大学区第14中学区三番小学を開設,同7年黒石小学,同19年黒石尋常小学校と改称(県教育史)。明治12年の黒石小学の教員数は男2・女1,生徒数は男413・女130(明治12年公学校表)。また同年南津軽郡中学校を開設,同年の教員数は男2,生徒数は男33(同前)。明治10年黒石警察署(昭和54年まで),明治11年黒石郵便局(昭和2年まで)を設置。明治17年の戸数31・人口149(烏城志)。同22年黒石町,昭和29年からは黒石市に所属。明治23年の調査では,東西2町29間・南北3町9間,家屋数32,学校2,倉庫1(同前)。以後の戸数・人口は,同28年29・235,大正元年49・252。明治35年大石武学流の庭園「さわなり」が当町北部に完成した。昭和50年の人口268,同55年の人口189,就業人口は第2次産業9・第3次産業78(黒石市の統計)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010084