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大鰐組
【おおわにぐみ】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期の弘前藩の組名。貞享4年の総検地後,遣に代わって新たに設置された行政区域25組の1つ。津軽郡平賀庄のうち。津軽平野の南端,平川流域に位置する。沢内遣の系譜を引くものとみられる。元禄3年当時当組に所属した村は,大鰐村・梗(もちのき)(㮴)村・碇ケ関(いかりがせき)村・杉浦村・小掛(こがけ)(古懸)村・長峰村・駒木村・苦木(にがき)村・唐牛(かろうじ)村・蔵館村・虹貝村・早瀬野村・島田村・三ツ目内村・居土(いつち)村・森山村・小金崎村・宿川原村・八幡館(はちまんだて)村・鯖石村・石川村・大沢村・乳井村・薬師堂村・高畑村・吹上村の本村22か村・枝村4か村の計26か村で,代官は工藤嘉左衛門と比留間伴左衛門(平山日記)。宝暦~明和年間頃の親村16・寄郷10・庄屋16・五人組40,手代3(弘前市史)。明和元年の藩律によれば,組内の村数26,戸数1,000余・人口6,840余とある。寛政改革の藩士土着政策によって,組内27か村のうち11か村に在宅藩士が居住した(御家中在宅之族村寄)。寛政8年の津軽郡諸組民力消耗表(県租税誌)に,組内の面積は田方843町・畑方424町3反,貢米1万96俵余,給地1,793俵,高懸畑銀納5貫629匁余,人口5,165・戸数878,牛15,馬1,374とある。明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)には所蔵村として大鰐村・宿川原村・大沢村・石川村・森山村・三ツ目内村・居土村・島田村・虹貝村・碇ケ関村・古懸村・㮴村・唐牛村・長峰村・駒木村・苦木村・杉浦村・蔵館村・八幡館村・鯖石村・乳井村・薬師堂村・吹上村・高畑村・早瀬野村・小金崎村・久吉村が見え,ほかに枝村として大鰐村に湯ノ川原,三ツ目村に高野・折紙新田,虹貝村に細越新田・蛇石,長峰村に九十九森,薬師堂村に下ノ町村が書き上げられている。明治6年の大区小区制への移行に際して,組内の村は青森県第2大区10・11小区に編入された。現南津軽郡の平賀町・大鰐町・碇ケ関村,弘前市の一部に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010293