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海童神社
【かいどうじんじゃ】


北津軽郡板柳町板柳にある神社。旧郷社。祭神は上津綿津見命・中津綿津見命・底津綿津見命。江戸期までは宝量宮と称した。社伝によれば,文録2年弘前藩祖津軽為信が肥前にいた豊臣秀吉のもとに参じようとした際,海上安全祈願のために当時河港であった板柳に海神を祀ったのがはじまりという(津軽一統志・板柳町誌)。その後衰退していたが,正保元年になって,村民が大川(岩木川)守護のため当社再興を藩に願い出たところ,社名はそれまでどおり宝量官とし,祭神は大咋主命・虚空蔵とするように許可がおりた。そこで川端町の大木柳の下に社殿を建立したが,その地は出水の危険が多かったため,承応元年に現在地に移した(板柳町誌)。一方「安政2年神社書上帳」には,「右神社当村草創之節産神無御座候」とあって,為信建立の事はふれていない。おそらく,岩木川の河港の1つとして板柳村が開発された江戸初期に,水上交通安全を祈って村民によって建立されたのが当社であろう。安永3年に7代藩主信寧が,伊勢皇大神宮田扇等を奉納して祈願所と定めた。明治6年には,神仏分離によってそれまでの仏号を廃し,海童神社と改めた。祭神も現在の海神3神とし,同時に郷社に列した。社宝の神興は,元禄15年に播磨国赤穂の浅野家が造ったものだが,浅野家断絶のために,たまたま大阪にいた当地の豪商若狭屋儀兵衛が買いとって奉納したものと伝える。7月13日の例祭の神興渡御は弘前範内で最初に許可されたものと伝える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010397