貝守
【かいもり】

旧国名:陸奥
貝森とも書かれた(邦内郷村志)。猿辺川の上流~中流域に位置する。全地域ほとんどが山地で,北に高堂山,南に貝名森(442m),西にドコノ森がそびえる。貝守館は猿辺川の右岸,貝守集落のほぼ中央で旧貝守小学校跡地が館跡。広さ100m×80mで,慶長3年の館持支配帳に「一,〈貝森館〉弐百石〈四ツ目結〉貝守弥七郎」とある。横館は猿辺川の右岸,貝守館の南方500mの地点,南北にのびる台地の先端を利用した館で,西は猿辺川に臨み,東も沢,南は幅4m,深さ3~5mの堀によって背後の丘陵から切り離されている。広さ100m×120m,畑地だが保存状態は良好。横館は貝守館の出城との伝承がある。三岳神社は「邦内郷村志」によると「神岳権現堂,重信公元禄6年再興。大同2年田村将軍の開基。往古百石有領,別当貝守弥七郎,依無調法而被取上,又二百石共云」とある。杉沢遺跡からは,縄文晩期の土器・土偶・岩偶・石斧・骨など,峰ケ崎遺跡からは,同じく晩期の土器・石皿・変形土器が出土されている。
【かやもり(中世)】 戦国期に見える地名。
【貝森村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【貝守(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010400 |





