甲地
【かっち】

旧国名:陸奥
東は小川原湖,西は奥羽山脈烏帽子岳の頂に接して位置している。地内東部を横断する土場(とば)川と,南部を通り七戸川と合流する赤川は,ともに小川原湖に注いでいる。また西部山麓から東流している清水目川は陸奥湾に向かっており,これら河川付近には水田が多くみられる。地名の由来は,アイヌ語のカッチョウにより,投鎗(なげやり)または攻める戦の意味であるという(甲地村史)。また「国誌」では,蝦夷が南部氏に追討された際の脱いだ甲冑にちなむと記されている。長者久保遺跡からは旧石器時代末期の石器が発見された。縄文土器は,田ノ沢・鶴ケ崎・乙供・塔ノ沢・保土沢など27か所から発掘されている。また昭和25年,石文集落で坂上田村麻呂が刻んだと伝えられる「日本中央」の碑も出土した(現在,東北町千曳に所在)。
【甲地村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【甲地村(近代)】 明治22年~昭和38年の上北郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010465 |





