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香取神社
【かとりじんじゃ】


青森市長島にある神社。旧村社。祭神は経軽主神・武甕槌神。明治期の神仏分離以前までは毘沙門堂と称していた。青森港がまだ開発されていない戦国末期頃,この地に住む1人の漁師が海中から黄金の毘沙門天像を拾いあげ,村人らとともに横内城址内に小祠を建て安置したのがはじまりと伝える。その後弘前藩祖津軽為信は,津軽平定ののち外ケ浜鎮守として毘沙門堂の建立を嫡子信建に命じたが,信建が急死したため沙汰止みとなった。寛永18年,3代藩主信義は為信の遺志を実現するため,青森町奉行森山内蔵之助に命じて毘沙門堂を建立させ,自らも御供米20俵と多聞天・持国天の神像を寄付した。この時に別当は文殊院と定められた。別当はその後地福院に替わった(青森年代記/青森市史)。江戸期を通じて青森総鎮守,外ケ浜総鎮守として藩からも篤い保護を受けていた。特に8月に行われた毘沙門天祭礼は,青森全住民が参加する大規模なもので,寛文3年にはじまったといわれる。なかでも神輿渡御祭は重要視されていた。明治維新により神仏分離が推し進められると,当社(毘沙門堂)は仏神として排斥の対象となり,青森総鎮守の待遇は善知鳥神社に引き継がれ,神輿も同社に移された。そして,当社の本尊毘沙門天像もいずこへか持ち去られてしまったという(国誌)。明治4年,別当地福院は仏式を改めて神式とし,祭神も経津主神を主神として香取神社と改名。明治6年には村社に列した。昭和20年の戦災で,本殿以下社殿が全焼。同45年に再建された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010472