角川日本地名大辞典 東北地方 青森県 40 上北町【かみきたまち】 (近代)昭和33年~現在の上北町の自治体名。小川原湖に注ぐ七戸川下流域に位置する。浦野館村が改称し町制施行して成立。町名は上北郡の文化・教育・産業・経済の中心となるよう改められた。浦野館村の大字を継承し,3大字を編成。役場を上野に設置。当町は,町の総面積の約半分を小川原湖が占めているが,その国営干拓事業が昭和23年に開始され,同41年に終了した。小川原湖は,当町の町制施行と同時に小川原沼を改めた呼称で,町の観光に貢献している。同年の水稲の作付面積は1,500haを超している。圃場整備事業は昭和27年に始まり,同45年までに87.1%が完了した。また昭和40年代に入ると開田ブームがおこり,昭和40年から同46年までの間に約500haの田が拓かれた。こうした中で,同46年農業振興法による地域指定を受け,同51年度には第2次農業構造改善事業の指定を受けて,農業の近代化が進められている。同53年度には農家戸数1,425,経営耕地面積は田2,052ha・畑825ha・採草地163ha・樹園地2haで,稲作,葉煙草・長芋などの畑作,畜産などを主としている。葉煙草は昭和39年の作付面積が100haをこし,水田単作地の不安定な農家経済を支えた。また近年兼業農家の増加が目立つ。昭和35年浦野館農協が上北町農協に合併。一方,公共施設としては,昭和37年母子健康センター,同40年ごみ焼却場・上北町葉たばこ取扱所,同47年上北町商工会館・小川原湖青年の家・上北町福祉センター,同50年役場新庁舎・小川原農民研修施設,同52年就業改善センター・大浦地区学習施設(徳万歳),同55年大浦地区研修集会施設(大浦)などが次々に開設されている。また,昭和33年には七戸信用組合沼崎支店,同35年青森銀行上北町支店などの金融機関も開かれたほか,沼崎~七戸間,甲地・榎林・早坂・大下内などの道路整備もすすんだ。教育機関としては,昭和36年第一保育所,同44年第二保育所,同46年には第三保育所,同49年小川原小学校に併設して町立幼稚園が開設し,小・中学校教育では,点在する小規模校の解消と教育費の効率化を図る統廃合が行われた。昭和45年大浦小学校と新館小学校が統合して第一小学校となり,同年大浦中学校,同47年には小川原中学校が上北中学校に統合。昭和46年虫神小学校が小川原小学校に統合,同47年上野小学校・新山小学校が統合して上北小学校となり,町内には中学校1・小学校3となる。昭和39年菩提寺地区から簡易水道が給水されたのを端緒に,同42年から町内で上水道給水開始,長年使用された釣瓶井戸は農家の庭先から消えた。世帯数・人口の推移は,,町制施行当時1,727・1万1,825,昭和40年2,080・1万1,125,同50年2,327・1万209,同55年2,463・1万472。産業別の就業人口は,昭和40年第1次3,674・第2次290・第3次1,231,同50年第1次2,784・第2次435・第3次1,465。昭和43年七戸町との間,天間林村との間,同45年天間林村との間,十和田市との間,同47年には東北町との間,天間林村との間で境界変更が実施された。 KADOKAWA「角川日本地名大辞典」JLogosID : 7010525