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熊野奥照神社
【くまのおくてるじんじゃ】


弘前市田町にある神社。旧県社。祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・事解男命・速玉男命・櫛御気野命。社伝によれば崇神天皇の時に創祀されたという。また斉明天皇の時,東夷平定のために赴任した阿倍比羅夫の副使物部安麻が,小田山の下(現在地不明,耕田山か)に熊野三所権現を祀り,桓武天皇の時阿倍比羅夫の子孫比羅賀洲王が扇野荘(弘前市)に奉斎した。延暦7年桓武天皇が神殿を新造して高岡神社と称したと伝える。当社は津軽氏による高岡の築城以前からこの地に鎮座していたといわれる。大同2年に坂上田村麻呂が鳥居を造立,以後源頼義・藤原秀衡・源義経・源頼家以下,数々の武将たちが再建・修造を行った。天正16年に藩祖津軽為信が修理を加え,慶長15年2代藩主津軽信枚が再建して社領13石余を与えた。さらに明暦2年には3代信義が社領を30石としたという。延宝5年の弘前惣御絵図には,弘前八幡宮境内に接して熊野宮とあり,その境内には心応院と薬師堂の名が見える。心応院は当社別当で,また神官は長利氏であった。長利氏は弘前八幡宮神主小野氏とともに,領内の社人を統轄する支配頭であったが,宝永4年以降は小野氏の配下となって領内の熊野系神社のみを支配することになった。明治2年にそれまでの熊野宮を改めて熊野奥照神社とし,明治13年県社に列した。三間社流造の本殿は,慶長18年に信枚が造立したもので国重文。中世的建築の手法がところどころに認められる貴重なものである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010759