100辞書・辞典一括検索

JLogos

12

熊野神社
【くまのじんじゃ】


三戸郡三戸町同心町にある神社。旧村社。祭神は伊邪那美命。須佐之男命を合祀する。熊原川の右岸に所在する。創祀については異説が多く,疫病が流行した時に熊野山正智院の僧が霊夢によって1祠を設けたとも,熊原川が大洪水になった時,現在の社地に権現像が流れ着き,水が引いても動かなかったので,これを吉兆として当地に祀ったともいう(三戸町通史)。「国誌」は寛永8年正智院の泉済の時に熊野林の地から現在地に移転したと伝える。宝暦年間頃の御領分社堂には「熊野堂」と見え,正智院持とされている。現在の社殿は寛政6年の建立(熊野山権現御堂並鳥居再寄進 付覚/三戸町通史)。安政3年の三戸通神社仏閣地名書上帳には熊野山大権現・牛頭天王堂が並んで記されている。また同書には同心町の手代森稲荷社も記されているが,明治2年牛頭天王堂・稲荷社の2社は廃社となり,当社に合祀された。牛頭天王は八坂神社として,幣殿の右方に,当時の厨子をそのまま社殿としている。稲荷神社は左方にある。当社は明治維新で釈迦如来像を付近の長栄寺に移し,現社名に改めた。神輿は,文政9年付近の三戸大神宮へ盛岡藩主南部利済より神輿の寄進があったので,大神宮の古い神輿(宝暦11年寄進)を譲り受けたもの。大祭は古くは旧暦7月16日で,山車には人形を飾らず人間が人形として乗ることになっていた。滑稽な仕草などもあるので,道化祭りと呼ばれた(国誌)。昭和55年からは9月11~13日に三戸大神宮と川守田の熊野神社と合同で,三戸三社大祭として行われる。社宝の牛頭天王木像(町文化財)は享保8年大仏師法眼康継の作。なお正智院は明治4年に住職が神職となり,廃絶した。真言宗寺院で,龐巌寺と号した(邦内郷村志)。「雑書」承応2年5月4日条に「三戸正知院」へ祈念を仰せ付けたことが見える。近世末期頃の南部領寺社鑑写によると現米60石が給され,藩主への御目見が許されていた。現在町立歴史民俗資料館にある南部利康公位牌(県重宝)は元来正智院に保管されていたもので,表に寺号の龐巌を冠した戒名が,裏に寛永8年11月21日の忌日が記される。「邦内郷村志」によると,利康の葬送が行われた地に,その居間の材木で堂宇が建立されたという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010761