小沢
【こざわ】

旧国名:陸奥
「康正三年下北図」によれば,康正3年の蠣崎の乱まで「孤沢」と記されたとされるが委細不明(東北太平記/みちのく双書3)。「国誌」では「こさあ」と訓み,同書に「サハをザアと唱るは土音の訛なり」とある。下北半島西南部,陸奥湾に面し,小沢川・口広川下流域に位置する。海岸線近くまで山が迫る沿岸集落。小沢港を有し,古くはタラ漁で栄えた。地名は川尻に茅のある所を意味するアイヌ語の「オサラ」に由来するとされる(陸奥下北半島地名考/旅と伝説11)。脇野沢村本村・瀬野・九艘泊などの上在(かみざい)(あるいはイソカミ),滝山,源藤城などの山在(やまざい)に対して(いずれも現脇野沢村),「下(しも)」と称することもある。小字の小サ沢は,大字小沢と区別するために字小沢をこのように記したものである。小沢には「流れ」のつく地名がみられ,赤坂流れ・尾の崎流れ・水ア流れ・カマ流れなどがあり,脇野沢村では小沢のみに存する地名であり,いずれも緩やかな畑や造林地が広がる所についている。源藤城に城があり,その見張所が小沢であったとする伝承がある(脇野沢村史民俗編)。標高100m程の海岸段丘上に位置する先土器時代後期の稲平遺跡から小型削器が出土するほか,家の上遺跡からは縄文後期の土器,人骨を埋葬した改葬甕棺墓が発掘されている。また開元通宝から永楽通宝まで中国古銭50種5,205枚も出土しており,中世安東氏の日本海交易と深いかかわりのあったことが知られる。
【小沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【小沢(近代)】 明治22年~現在の脇野沢村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010875 |





